「物が在る」 ということは自分をこのように認めた様子なのです。
「自分というものを認めた その上」 から
「物が在るとかないとか」 ということなのです。
そういうような 「考え方」 ですから、全ての物をみんな
「人間(にんげん)の考え方」 へ、全部移行したのです。
「物心付いた途端」 にどんな人でも皆そうなるのです。
「識」 を認めたのです。
関係を皆認めたのです。
ですから、一切の動きを色々と名付けてみても
「自分の考え以外」 の何物でもないのです。
ことろが、「今の事実」 は考えではありません。
だからそれが分からないのです。