第二の「不知生(ふちしょう)」 というのは、「人間(にんげん)」 は
「一番初めに知らずに(不知)に出来た」 のです。
「人は知らずに生まれて来た(不知生)」 のです。
「この事実」 は人間が知る(認識する)前から、「自然(じねん)」 にあったのです。
「法」 として、「道」 として出来たものを、即ち 「公(おおやけ)」 のものを
自分のもののように勝手に扱い、「自然(しぜん)」 としてきたのです。
第三に、「本来成仏」 という語源は、「円覚経(えんがくきょう)」 に
「始めて知る衆生本来成仏なることを」
とのお示しに見出せます。
広辞苑に拠れば、
「万物(ばんもつ)一如の見地に立てば、衆生もそのまま仏であるということ」
と、はっきり記されています。
「今の事実」 を見極めれば、
「実相は無相であり、不知生であり、衆生本来仏なり」
なのです。