私たち衆生は、いつでもどこでも 「縁」 とひとつに成っているのですが
そういう状態を知 (識) ることは出来ません。
「此の物(自分自身)」 は 「此の物(自分自身)」 に見える、聞こえる、
考える等、そういう働きがあることは何も知 (識) りません。
これを 「不識」 といっています。
「不」 という文字は 「打ち消しの助字」 ではありません。
「不」 は絶対という意味です。
つまり、「不」 とは 「自己のないこと」 をいいます。
「そのまま」 とみればよいのです。
「不知」 は 「知のまま」、「不識」 は 「識のまま」、因縁あるのみなのです。
「不知不識(ふちふしき)」 より 「不」 の字を取り除けば 「知識」
となるのです。
大きな知識です。
改めて、「新三法印」 として 「実相無相、不知不識生、本来成仏」
を提示させて頂きます。