おシャカ様の 「悟り」 を開かれる直近の様子は、何もかも自分でも訳が分からなかったのです。
分からないほどに其の物と親しかったのです。
別の言葉で言えば、「一つに成っていた」 のです。
そして、「一つに成っている」 という事すら分からないほどに、
自分も何もかも存在しなかったのです。
「死に切っていた」 ということです。
それが、「縁(夜明けの明星)」 に触れて、「ポッ」 と 「一念」 が起きた途端に、
「アッ」 と驚いたのです。
「驚くほど確かな事が自分に行われていた」 のです。
「今まで要求していたものが、何だ、初めからちゃんとしていたではないか」
ということなのです。
その様子を有名な 「華厳(けごん)経」 の中で
「奇なる哉 奇なる哉 我今普く一切衆生を見るに
如来の智慧、徳相皆具足す、唯妄想執着を以っての故に證得せず」
と、宣言されたのです。
「奇なる哉 奇なる哉」 とは、「何という事だろう」 という意味です。
「ちゃんと誰でも救われていたではないか」
ということが、はっきりなさったのです。
「人の念が生ずる」 と、それによって 「迷い」 というものが起きるという事が
はっきりしたのです。