活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

求道(ぐどう)のあり方

2016年04月02日 | 法理

「道」 を求める人はたくさんいます。

しかし、求めても求められない人がいるのはどうしてでしょうか。

 

それは、「求める方向がちがっていた」 のです。

例えば、お経にしても、覚者はそのお経のあり方というものの要点を知っています。

他者は知らずに経論の教えに従って取り扱いをするという事の違いです。

 

私たち衆生は考えを持って困っています。

この考えから離れるには、一体どうしたらいいのでしょうか。

 

そこのところを、道元禅師は、自分の為でもない、他人の為でもない、

人間(にんげん)的欲求という事ではなしに、

「この道具立て(六根)自身」

「此の物自身」

の真相まかせにしてご覧なさいとお示しになられたのです。

 

でも、今まで自分で 「求める方向が違ってきた」、そういう習慣があるものですから

言われた通りには中々いかないのが、多くの人の姿なのです。

 

山を越えるにも、自分で越えてみないことにはどうしようもないのです。

越えずにいれば、いつまでたっても向こうは分からないのです。

 

ですから、自分で越えなければならないのです。

越える方向も、何もかもきちんと言われているのですから、

「ああ、そうか」 と越えればよいのです。