函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

志村けんさんの死で「愛国心」について考える

2020年03月31日 14時38分22秒 | えいこう語る
▼団塊世代生まれの私が、お笑いを意識したのは「クレージキャッツ」だ。メンバーはそれぞれスーツを着て楽器を鳴らし、笑いのセンスの良さが出ていた。それは、戦後米国風の「かっこよさ」を取り入れたからだろう。

▼私もよくジョークを発する。今は「オヤジ・ギャグ」と言われるが、自分ではよく練り込んだ、相当高度のギャグ?だと、思っている。理解できない方が、センスがないなどと自負している。

▼ハイセンス?の部類のものは、理解しているかいないかは、目で判断できる。理解している目は「おぬしやるな」と言っている。いかにひねったジョークでも、通じない時は「お呼びでない・・・こりゃまた失礼いたしました」と心でつぶやく。だから私の笑いのセンス?は、「クレージキャッツ派」に属する。

▼志村けんさんが亡くなった。それも流行りの「新型コロナウイルス」でだ。国民にお別れのギャグもいえないうちに世を去った。「ドリフターズ派」でなかった私でも、なんだか気が抜けた感じだ。

▼大衆向けの笑いに徹した功績の大きさを、今になって実感しているからだろう。強烈な感染ウイルスなので、身内の人の面会もないまま、火葬場へ行くそうだ。「志村けんの葬式」という最期の舞台に、観客が一人もいないのは、あまりにも寂しい。

▼純白のマフラーをなびかせ、特攻機に乗る志村さん。「大丈夫だー」と、見送る人々に笑顔をふりまいて「戦艦コロナウイルス」へ向かっての出撃だ。そんな、喜劇役が悲劇役を演じる最期の舞台を思い浮かべている。

▼話題を変えたい。2014年9月の私のブログに「右翼と左翼」というのがある。その月の北海道新聞に掲載された、右翼団体「一水会」代表の鈴木邦男の記事について、書いたものだ。鈴木は右翼でありながら、以前テレビで「天皇の批判はどんなにしてもいい」と言ったので、それから気に留めていた人物だ。

▼その時の新聞に、鈴木は【言論の自由がどんどん狭まっているなら、自由のある押し付け憲法の方がいい】と言ったを、私のブログが取り上げている。

▼それから6年後、鈴木は今の世に対する風潮を述べたものを、北海道新聞論説委員の辻岡英信が、3月29日の「異聞風聞」に書いている。

▼要約すればこうだ。【愛は総じてすばらしいが、愛国心は為政者などに利用され、外国への憎しみを煽って、外国人を排除し、戦争を賛美する道具にもなる。アベシンゾウは2006年の「改正教育基本法」の中に『我が国と郷土を愛する』との文言を盛り込んだ。「森友問題」「桜を見る会」「検事長の定年問題」等、まともに責任をとらないアベ総理がだ。森友問題で自殺した官僚は『なんて世の中だ』と遺書を残した。憲政史上最長を極め、異論を封鎖し、国の行政を私物化した首相として記憶されるべきだろう。さらに『愛国心は美しい花だ、しかし、毒を持っている。それに「五輪」の華やかさが加わった時、改憲は歩みを進める』と。】

▼現在の左翼勢力の眼力は、完全に曇っているように思う。右翼勢力には、今のアベ政権が目指すものははっきり見えてきているから、計画(策略)が組みやすい。アベ政権の長期化は、同時に「国民の右傾化」につながっているようだ。

▼五輪の延期で、五輪はスポーツの「政治利用の道具」であることがはっきりしてきた。1964年の東京五輪、私は高校生だった。テレビに向かい「日本ガンバレ!」と叫んでいた。だが、2020年の東京五輪への期待感は薄い。

▼その理由について、以前から友人とも話していたが、右翼の鈴木邦男の言葉が、その理由を整理してくれた。もう一度繰り返す。【愛国心は美しい花だ。しかし毒を持っている。それに五輪の華やかさが加わったとき、改憲は歩みを速める】。この言葉が、五輪の本来の魅力から私を遠ざけているのだ。

▼再び志村けんさんが、特攻機に乗った姿を思い浮かべる。「大丈夫だー」というのは、言論の自由がなくならないような、笑い溢れる社会であれば、日本は【大丈夫だー】という、国民へのメッセ―ジではないかと、私は今気付いている。

▼東京五輪は「アスリートと国民」の側に立ったものでなければならない。「政治ファースト」の五輪は、改憲への加速なのだ。

▼「2021年東京五輪」。開催時には「森と安倍」のコンビは、解消していてほしい。森は以前「我が国は神の国」と言ったことがあるし、アベが言う「美しい国へ」というのも「美しい神の国へ」という意味だからだ。

▼そこに共通している「神の国」というものを【愛国心】というものの『涵養』で、成り立たせようとしているからだ。それがアベ政権下の【道徳教育】の中に潜んでいるというのは、私の思い過ごしだろうか。

▼志村けんさんの遺言は、笑いが絶えな【大丈夫な国】にしてほしいということだと、私は受け止めたい。『喜劇の反対は悲劇』だ。もちろん「悲劇」より「喜劇」がいいのは、誰もが知っている。志村さんの死で、妙に【9条】のありがたさを実感している。        
                 志村さんさようなら。

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