函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

町会長の一日

2014年06月24日 12時22分15秒 | えいこう語る
▼土曜、朝4時起床。前日までの雨交じりの天候が嘘のような青空が広がっている。映画「日本の青い空」を思い出す。
終戦後、すぐに日本の学者たちが集まり、今の憲法の草案を作りGHQ司令部に提出し、それが今の憲法のたたき台になった。
改憲論者たちが米国に押し付けられたと主張するが、実は戦争のない国を目差した日本の叡智の集結が、今の憲法にはあるのだ。
久しぶりの青空を眺め、戦争をする国へと血眼になっているアベ政権への無謀ぶりに、ちょっぴり気持ちもブルーになる。
▼今日は「第41回ふれあい大運動会」だ。副大会会長の私の任務は、本部席での賞品配りと大会終了挨拶だ。
私は人前での挨拶は1分以内で、前の人の挨拶にダブらないよう心がけている。事前に挨拶は考えてくるが、ダブった場合い内容変更は大変だけど、自分に与えられた楽しい時間だと思うようにしている。
そこで1分が私の厳守時間だ。
そうでなければ、私は取り止めのない長い挨拶になるからだ。
※人口1000人の過疎の村の運動会は、内容は楽しいが写真はさみしいものがある。


▼午前6時、自分の町会のテントを会場に設置し、一端帰宅。朝刊に目を通すと、お悔やみ欄には、なんと従姉の主人の名が。この男性は、実は私の中学校時代の先生でもあった。
昭和30年代の教師は、とにかく生徒をぶん殴った。連帯責任などという言葉が生徒は身に沁みていた。
自分が悪くなくても、実行犯の傍にいただけで殴られた。弁解の余地などない。かえって拳骨が強くなるからだ。
▼私はその教師と、まったくそりが合わなかった。思春期特有の、心の不安定さにあったのかもしれない。
中学の思い出というと、教員室に呼ばれた多さが一番に来る。もう一つは、校長室に呼ばれたことだ。
最敬礼して入室すると「君は礼儀正しく真面目な生徒だ」とほめてくれる。先生に叱られ校長先生にほめられる、その意味がよく分からなかった。校長先生は「この書類、学校帰りに郵便局に出してください」と、いつもそんな命令だった。
▼さすが鈍感な私でも、後に出身中学のPTA会長になった時、教師と校長先生の役割分担を理解したのだ。父親と母親の関係のようなものだったと。
▼PTA会長時代に、いじめ問題が各学校で発生し、教職員とPTAとの合同対策会議で、なぜか私が司会役に指名されたことがある。
そこに中学時代の先生が、教育委員会を束ねる組織のトップの役職となり参列していた。
私の中学時代は先生たちによく殴られ、親たちも先生に対し絶対の信頼を持っていたので、殴られて家に帰っても両親にそのことを話したりはしなかった。お前が悪いからだと、また叱られるからだと。
先生は殴ったけれど、生徒へ真剣に向き合ってくれていたという話をして、会場にいる先生にお礼を言ったつもりだ。
▼運動会が無事終了し、その後町会館前での反省会。2時間ほどで先に退席、妻の運転で函館市内でのお通夜に参列した。早朝からの様々な活動と反省会でのビールが効き、疲れ果てた私はほとんど妻に寄りかかり居睡りしていた。
終了後、先生の遺影の前に立ち焼香すると、思わず目頭が熱くなった。
「君、これからもがんばって欲しい」と、先生の声が聞こえたからだ。
▼葬儀会場を出ると、夜の7時頃だったが、まだ空が明るかった。妻が「今日は夏至なんだって」といった。
葬儀会場には「00家葬儀」と、先生の性が印刷された札が張っていたが、先生は書道の達人でもあったのを、その印刷を見てふと思い出した。
▼帰宅したのは夜9時を過ぎていた。
私の挨拶は短いが、ブログは夏至のように長くなった、町会長の最も長い一日である。


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