▼4月に行われた衆院東京15区の補欠選挙で、政治団体「つばさの党」が、拡声器を使い他候補の街頭演説を、妨害しているのをテレビで観た。
▼率直に言って、この妨害行為は完全に選挙違反だ。他候補の演説など、ほとんど聞こえないほどの、妨害だからだ。
▼「表現の自由」は憲法に定められているが、相手の演説が聞こえないほどの内容では、候補者の表現の自由が守られるべきだ。
▼地元から立候補している、議員の演説を妨害しているのだから「公共の福祉に違反」する行為だ。そのような妨害をする人物には、基本的人権は保障されない。
▼ここで思い出すのは、2019年の札幌駅前で、当時のアベ総理の街頭演説だ。聴衆がヤジを飛ばすと、すかさず警察がその人物を強制排除した。
▼これは何度もテレビで観ているが、道警の明らかな越権行為だ。都内では総理にヤジを飛ばす聴衆など、たくさんいるからだ。総理の警護だけに、道警の忖度が働き過ぎたのだろう。
▼ヤジなど国会でも日常茶飯事だ。ヤジを飛ばして、議員辞職などさせられたことはないはずだ。過ぎれば、せいぜい議長に退席を命じられるだけだろう。
▼もし私がアベ総理の演説を聞いていたなら、ヤジの一つも飛ばしたくなるだろう。だが演説妨害にならぬ程度の、間を置いてのヤジだ。そのくらいなら、一国民の声として許されるだろう。
▼取り締まる側の判断力の問題だ。総理も国民も同等だという意識がなければならない。総理の警護のために、国民を排除するというのは、民主的な配慮に欠けている。
▼国民は政治家が何を考えているのか、直接聞きたいのだ。そのための街頭演説には、耳を傾けたい。そこで演説者が、私たちの代表として適任かを判断すればいい。
▼要するに「聞く権利」を保障してほしい。要人警護が行き過ぎて、国民の言動が制限されないようにして欲しいだけだ。
▼支持者を動員し、大勢で応援することがないよう公平を保つ、警護の配慮も必要だ。ただ「妨害行為」だけを主に排除では、国民主権の国家ではない。
▼「アベ政治反対」の聴衆の声に「あなたたちのような人間には絶対負けない」と、国民を見下した総理もいた。これは国民に対する「ヤジ」というより「人種差別」だ。
▼「つばさの党」は絶対やりすぎだ。だがこれを取り上げ、国民の「表現の自由」を制限してはならない。この党の選挙妨害は、常識外の行動だからだ。
▼もしキシダ総理の街頭演説があったなら、私なら到着前にヤジを飛ばす。到着したら全員が静かに演説に耳を傾ける。帰った後にさらにヤジを飛ばす。
▼そんな手法なら「表現の自由」の範囲ではないか。今夜の夢は、そんな練習の場としたい。「敵基地攻撃ソウリ!」「憲法無視ソウリ!」などというヤジを。
▼そういえば私の地域の川は「矢尻川=ヤジリ川」という。私の性は川口なので、「ヤジの川口」?という意味なのだろうか。