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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

縄文人が住んだ土地

2016年10月11日 13時55分28秒 | えいこう語る

 

私の家から20キロほど離れた隣町の畑で、約3500年前の縄文時代の土偶が発見された。日本各地から出土している土偶の形態と比較しても、大きさや精巧さ優雅さにおいても他を抜きんじていると、縄文フアンの私しとしては、声を大にしたい。北海道初の国宝にも指定されているが、私たちの先人に、芸術性溢れる感性豊かな人々がすんでいたと思えば、少し誇らしげにも感じる。

私の家の庭でも、子供の頃よく縄文土器の欠片が出土していた。小学校で縄文土器のことは教えられていたと思うが、縄目模様の欠片は、子供心には茶色くて貧相に思えたので、収集もしないでそのままにしていた。今は庭にしているが、戦後は畑として使用していたので、土を耕すたびに欠片は破損し粉々になったのだろう。

昨日友人が、茗荷の苗をくれるというので、穴を掘っていたら、縄文土器の欠片が出てきたのだ。半世紀ぶりに縄文の欠片に出会い、感動した。数千年前に作られたのものが、我が庭で出土したのだ。数センチ四方の欠片なので価値もないが、私の土地は、昔は縄文人の土地だったのだ。欠片を水洗いして乾かすと、横一文字の縄目模様に何やら他の図柄が描かれているようだ。この欠片を持って近々、隣町の縄文博物館に行き、学芸員に尋ねてみようと思う。

結果は、縄目模様の欠片に、鍬やスコップが当たり、文様のようになったということかも知れないが、何とも数千年前のものであるから、思いは果てなく広がるのが、縄文の魅力でもある。もしかしてこの図柄から、縄文の新たな発見があったとしたら、私の庭も「縄文庭」などという木の看板を作成し、設置しようかとも思う。

さらに、庭にはおびただしい鹿の糞が落ちている。鹿が蹴り上げた土の跡もあり、数匹の群れが来たようだ。縄文時代、鹿の狩猟が盛んに行われていた。数メートル間隔に横穴を何本か掘り、そちらの方に鹿を追い詰めると、鹿が穴を飛び越えると、次の着地部分に穴が掘られていて、鹿が足を折るという仕掛けだ。そんなことを思い出しながら、我が家の土地がいまだに縄文時代の名残が存在しているという不思議に、昨日は心が少し和んだ。

縄文人はアイヌ民族につながると言われている。北方領土にもアイヌ民族が住んでいたが、日本への同化政策で、島から北海道に移住させられたというのを、最近、函館市立博物館で研究者から聞いた。12月のプーチン大統領の来日で、北方領土にある程度の進展があれば、新年早々解散総選挙になると言われているが、日本とロシアの北方領土問題に、この土地は私たちのものだと言ったアイヌの方がいたというのを思い出した。

戦争は領土保全や拡張のために起きる。縄文時代は戦争がなかったので1万年以上も続いたという。プーチンVSアベ会談。「北方領土はアイヌ民族に返還します」などという、共同宣言を期待したりもする、縄文の土地に住んでいる私だ。