夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

ジャパン『ライヴ・イン・キョウト』

2013-11-09 22:28:44 | JAPANの思い出・洋楽
前回(10/5)紹介した1981年7月のロンドン・ハマースミス・オデオンでのライヴCDと同時に、オンラインショップで購入。

1980年代、ニュー・ウェイヴ・シーンを代表する”ジャパン”1981年、伝説の来日公演より京都第一会館でのステージを高音質サウンドボード音源で収録したタイトルが登場!本タイトルは、日本でも絶大なる人気を誇った”ジャパン”の伝説の来日公演より京都第一会館でのステージを収録した奇跡のタイトルです。当時の最新アルバム「GENTLEMEN TAKE POLAROIDS」のオープニング・ナンバー「SWING」で幕を開け、それまでの4枚のアルバムからチョイスされた選りすぐりのベスト・ナンバーを網羅した内容は感動の一言!ファースト・アルバム「OBSCURE ALTERNATIVES」のオープニング・ナンバー「AUTOMATIC GUN」で幕を閉じる憎いセット・リストは必聴です!

という宣伝文句が書いてあったが、まさにジャパン・ファンなら必聴そして感動モノのCDだった…。
前年(1980)12月にリリースされたニューアルバム『孤独な影』からわずか二ヶ月後の日本ツアーで、観客の期待がいやが上にも高まっていたことがわかる京都公演(2/23)だった。



収録曲は、以下の通り。
01 Swing
02 Gentlemen Take Polaroids
03 Alien
04 ...Rhodesia
05 Quiet Life
06 Obscure Alternatives
07 Taking Islands In Africa
08 Methods Of Dance
09 Ain't That Peculiar
10 Sometimes I Feel So Low
11 Halloween
12 European Son
13 Life In Tokyo
14 Adolescent Sex
15 Automatic Gun

約4ヶ月後のロンドン公演と曲順はさして変わらないが、後半に10「孤独な安らぎ」13「ライフ・イン・トウキョウ」14「果てしなき反抗」15「オートマティック・ガン」など初期の曲を中心に増やしている点が大きく異なる。
3rdアルバム『クワイエット・ライフ』(1979)以降、音楽性も評価されるようになってきたとはいえ、そのビジュアルから日本ではまだまだアイドル的な人気であっただけに、曲間やイントロ演奏中の女性の声援、というか悲鳴がすごい。「でびっど~!!」「みっく~!!」「すてぃーぶぅ~!!」ほとんど金切り声だ。
しかし、デヴィッド初めメンバーの演奏はひたすら淡々と進んでいく。
MCもほとんどなく、時々デヴィッドが曲名紹介でちょっとしゃべるだけ。
一曲終わるとすぐ次の曲の演奏が始まり、02「孤独な影」と03「エイリアン」などはほとんどつながっている。どれだけ無愛想なバンドなんだ。


それでも、彼らのパフォーマンスを通じて、クールな熱気みたいなものは伝わってくるし、翌年の解散コンサートでも演奏されたいくつかの曲が、このときは未成熟でこなれておらず、それゆえに洗練される前の荒々しさやフレッシュさを感じさせるのも面白い。
私としてはやはり、01「スウィング」02「孤独な影」03「エイリアン」08「メソッズ・オヴ・ダンス」などが好きかな。
05「クワイエット・ライフ」のように、人気曲のイントロが始まると、観客が手拍子を始めるのは、若干の違和感と共に時代を感じる。13「ライフ・イン・トウキョウ」は、日本でやるとやはり盛り上がり、会場のボルテージが一気に高まる。この熱気を、当時ぜひ味わいたかったと思う。

このところ仕事がずっと忙しかったので、行き帰りの車の中でこのCDを聴いて癒されている。

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1 コメント

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可能性 (風の靴)
2013-11-10 22:39:56
こんばんは!

熱狂的な女性の金切り声とは対照的にバンドはと言うと・・・MCも殆んど無く・・・
黙々と演奏に徹するのみ(笑)

全くサービス精神0ともいうべき彼等なのです。

冷静に考えると・・・
熱くなるファンとJAPANのテンションの違いが・・・

この温度差と言いますか・・・ひたすら笑えますよね・・・(苦笑)

こちらの収録曲はファーストから「孤独な影」までの楽曲で構成されているようですが・・・

こちらのライブアルバムを聴かれたちかさださんも、感じて居られるように・・・当時のニューアルバム「孤独な影」からの選曲もまだまだ完成されてはいなかった・・・

言ってみれば・・・ジャパンの解散(何もかも)が「決定的なもの」となってしまった、あの「ブリキの太鼓」発表前で・・・

この時点では大小なりとも、彼らは「まだバンドとしての可能性を秘めていた」・・・未知数とも言えた・・・

以前の”空気感のようなモノ”をまだ引きずっておりましたからね。(苦笑)

「クワイエット・ライフ」までが実質ある意味において・・・

ジャパンが・・・一番「JAPAN」らしかった時期でもありました。(笑)

ちかさださん、ありがとうございました。(笑)
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