実家に帰っていた間、東京・南青山のスパイラル・ガーデンで開催していたデヴィッド・シルヴィアン写真展を見に行った。(8日終了)
先日紹介した、「瀬戸内国際芸術際2013」の「abandon hope」展と同時開催であり、この二つの展覧会によって、デヴィッドのフォト・インスタレーションの全貌を見ることができるのだという。
主催者側の案内では、
デヴィッド・シルヴィアンのサウンドは、作品を発表するごとに神秘性を深め、みずみずしい好奇心と清冽な実験精神をあふれさせて多くの人々を魅了してきました。その詩的世界にこめられた、繊細でありながら強靱なスピリットは、写真家としての活動にも、鏡のように写りこんでいます。
という説明が書かれていた。ただ、前回も書いたと思うが、彼の写真は確かに繊細で美しい一方、全体を覆う虚無感とか、情熱の不在が気になってしまい、どうしても惹きつけられるものがない。やはりデヴィッドの本領は音楽、特にヴォーカルにあり、そこでこそ唯一無二の彼の個性が表現できるように思う。
会場でいただいたパンフレットの本人写真を見ていたら、あれれ!? これって、岡山県宇野港会場の「abandon hope」展が背景じゃないのかな?
そういえば、今回見た写真の中に、フェリーのなおしま(直島を経由して宇野と高松を結ぶ)とおぼしきものがあった。
デヴィッドは、2006年にアート・プロジェクト「直島スタンダード2」にサウンド・インスタレーション作品を出展してもいるし、風光明媚な瀬戸内の景色に惹かれるところもあったのだろうか。
今回はとてもお洒落な会場で、先日の写真展とはまた趣が変わった感じなのが面白かった。
ちかさださん最終日行かれたのですね。
先日ちかさださんが組まれた「デヴィッド・シルヴィアンの写真展」に関しては・・・
私の気持ちはそこで存分に申しあげさせて頂きました。
ちかさださんはもう既にお分かりだと思いましたので・・・
あえてコメントは差し控えます(苦笑)
ちかさださんがご覧になって受けた印象は・・・
正しくその通りなのではないかと私も思います。
暫く私は考える事になりそうです・・・
この度のちかさださんの言葉から・・・ふっと・・・
この言葉が
「人にして仁ならずんば、礼を如何せん
人にして仁ならずんば、楽を如何せん」
個人的には・・・
彼(デヴィッド)には今一度原点に戻って考えて頂きたいと思います。
ちかさださん本当にありがとうございました。
正直申しあげて・・・
私の中でこの問題はズーッと引っかっています。
こちらの[abandon hope]には彼の熱心なファンの方達が多く足を運ばれたと思います。
そしてこの度、ちかだささんも宇野港とそして青山の会場と二箇所に渡り足を運んで下さってます。
「デヴィッド特有の鋭い視点と感性でとらえた、モダンでシュールな作品・・・」
おそらく以前の私なら、この彼の作品群を前にしてそう称したと思います。
キュービスム・・・
ダダイスム・・・
シュールレアリスム・・・
サティ、ストランヴィンスキー、ギョーム、ピカソ、ダリ、etc・・・
そしてジャン・コクトー・・・
これらの単語が私の頭を掠めます
ちかさださんもここで記して居りましたが、主催者の方のこの作品についての紹介文
作品を前にして多くの彼のファンの方々が受ける「印象」は正にその通りなのだと思います。
何故なら・・・デヴィッド・シルヴィアンとは・・・
そういった「人・だ・か・ら・」です。
或いは・・・彼なら「そうで・あ・ろ・う・・・」
彼のイメージと言った方が正しいのか
彼を知る人々は作品に対して概ねそう感じるのでは無いでしょうか?
ですが解釈も十人十色で人それぞれですから
素晴らしいと感じるか
ただ単に彼が目の前にある物体をとらえたものに過ぎない・・・
それ以下でも・・・それ以上でも無い・・・
「それ以上の意味をそこに見出せない」と観る側が感じたとしても
それも事実・・・なんら不思議ではありません・・・
シルヴィアンと言えども「写真家」として広く認知されてそれほど実績を積んでる訳では無く言ってみれば
写真を生業としている「写真家」ではありません。
そこにお金を使いわざわざ時間を調整し足を運んでくれる人々の多くは彼を知る人達、そして彼を昔から応援してくれている熱心なファンなのだと思います。
今回の彼の行動は・・・行為は・・・
どうしても私は・・・その辺に引っかかる・・・
確かに優れたアーティストといえども人間である神ではない判断を誤ることもあるだろう・・・
しかし・・・だからこそ・・・
人間はその自らの不完全さゆえに・・・
周りの声に耳を傾け謙虚に受け止める必要があるのだと思います。
私はちかさださんもご存知の様に・・・
シルヴィアンに対して長きに渡り彼のその音楽に向ける情熱、チャレンジ精神,そして、年齢を経ながらも常に持ち続けているその好奇心と探究心に大きな賞賛を送り・・・
「前進」と「超克」といった彼のクリエーターとしての姿勢そのものに敬意を払ってきました。
ハート入ってなければ礼も楽も意味がない・・・
スタイルだけ真似したような礼ではいけない・・
楽の技術だけいくら上達してもいけない、
そこに人としての「心」や「情」が入っていなければ・・・礼だ楽だといったところで始まらない・・・人の心(仁)が伴わないものはいくら洗練されていても意味がないと・・・
今の私の気持ちはそのまま
孔子のお言葉をお借りしたい・・・
ちかさださん長々と駄文を連ねてしまいすみません。
どうかお許し頂きたく思います。(笑)
ごめんなさい
続けてコメントさせてください・・・
実はこの9月にデヴィッドはスェーデンのメゴに在籍のラップトップアーティストであるクリスチャン・フェネスとシュテファン・マチューとのコラボの新譜がリリースされる事になってるようです・・・
シルヴィアンはフェネスともマチューともこれまでにも何度もコラボしていて、フェネスはシルヴィアンをリスペクトしているミュージシャンの一人です。
フェネスは若い頃からJAPANやシルヴィアンを聴いていて来たようで彼も非常に才能あるミュージシャンだと思います。
デヴィッドは以前この様に話していました、「フェネスは自分が挫けそうになった時(仕事)に何時も僕を励ましてくれるんだ、で・・・また(よし!やってみよう)といった気持ちになっている、パワーを貰っているよ」と
で・・・フェネスは「自分にとって彼は偉大な存在だから初めて一緒に仕事した時は,彼の曲に手を加えるのは恐れ多かった・・・彼と仕事をする時はいつも良いものを作らなければと力が入るよ」と言っていましたが・・・(苦笑)
本来なら私は非常にこの新譜のニュースに大喜びしているところなのでししょうが・・・
素直に喜べません・・・(苦笑)
当たり前でございますあんな事があった後ですから・・・
私は未だ消化し切れておりません・・・
あの件でアノ騒動以来敬愛して止まなかったモノ
彼に対するイメージは一転してしまいました・・・
確かにあの問題で彼が主催者側とどこまで密に連絡を取り合って,彼がどこまであの企画に自ら関わっていたかは分りません・・・
それが「有料の企画」だったかどこまで彼は把握していたかも不明のままです・・・
仮に内容を把握していなかったとしても
ただ自分の個展ですから・・・
知らぬ存ぜぬ他人事の様な行動は頂けません・・・
実はちかさださん・・・
実際にそのオープニングレセプションに行かれて苦い思いをされたある方のお話しをお聞きすると、3時間もの間待たされた挙句に本人は登場せず・・・
そして来ていたファンに向けてきちっとした説明も主催者の方からその場は無く・・・
その後も両者から全く謝罪の言葉一つ無かったと言うのですから聞いている私でさえ怒りが・・・
(お金を返したんだから的な感じにも取れた様です)
行った皆さんが納得がいかないのは当然だと思います。
そこでその御方が後日また写真展を再度見に行き、今度は直接主催者の方に説明を求めたらしいのですが・・・
全く説明になっておらず、歯切れが悪いままだったらしくそれでも問い詰めたところ・・・「彼が行きたくない?・・・出たくない?・・・」と言ったとの返答だったらしいのです。
本当にその耳を疑うような言葉を聞かれたその御方は、長年の彼のファンでいらして、ずっと真摯にファンとしてこれまで彼らを応援されて来られた方です。
その他にファンのご友人数名も行かれた様ですが・・
仮にもし遣り取りの中でそうだったとしても主催者がそんなことをファンに向けて言えますか?
「デビも何を考えているんだッ!!!」と言いたい・・・
ただオープニングレセプションに出席の件は彼とは書面で正式な契約はしていないとの事だったらしいです。
ですから彼にしてみれば「出ても出なくとも良い」と言う認識だったのかどうかは分りません・・・
彼が了解をしていない中・・・で話しが進んでいたとしたら・・・彼的には「悪いことはしていない」と言う意識なのかも知れませんが・・・・従って謝罪もしない・・・
(そもそも派手な場所に出るタイプでもないので・・・)
了解したかその辺は腑に落ちませんが・・・
また主催者と彼がどこまで煮詰まった話しをしていたかも不明です・・・
ですが・・・これではファンに対してはあまりにも無責任過ぎます。
自分の名を掲げて主催者がお金を頂いているのですから・・・彼(デヴィッド)はもう少し説明をして然るべきですよね。責任がありますよね・・(しつこい)(苦笑)
ただ情報が少なすぎても、人は誤った判断や決断をし兼ねません・・・
もし事実がどこかで歪められていたとしても・・・
ちかさださん・・・これってどう思われます?
ちかさださんお時間がある時にでも,結構です。
良ければご意見を頂戴したいです・・・(笑)
デヴィッドの意図としては、表現主体(自分)と対象との間にあえて関わりを持たせず、主観を排して、鑑賞者の自由な想像に委ね、眼前の光景から連想されるさまざまなイメージの世界に浮遊してほしい、ただし、作品のベースに諦念のようなもの(abandon hope)を感じ取ってくれれば、といったくらいのつもりなのかもしれません。
写真が余技であることは、デヴィッド自身も、写真展に足を運んだファンたちも、よくわかっていることだと思います。ただ、その開催初日に熱心なファンの期待を裏切るような一件があったというのは、返す返すも残念なことですが…。私は、詳しい事情や本人の意向は存じませんので、コメントは差し控えるしかないと思っております。
いつか、デヴィッド自身か、あるいは関係者から、実際はこういう事情だったと語られることが望ましいとは思いますが…。
古来、芸能を生業(なりわい)とする人々は、世間的な法や道徳の埒外にあり、聖俗併せ持つ存在だったといいます。
優れた才能を持つ芸術家がしばしば世事に疎く、それどころか人間性や道徳に悖る言行が多い例も数え上げればきりがないことと思われます。関わった周囲の人には災難でしょうが、そのことと、作品の評価とは、切り離して考えるしかないのではないかと。
風の靴さんも傾倒しておられるように、デヴィッドの楽曲やライブ・パフォーマンスは非常に素晴らしい(かった)ものです。そのよい面を見て、その他は目をつぶるのがベターかな、と私などは思っております。
芸術と人の受け止め方は心々だと存じますので、風の靴さんの感情をそこねるつもりは毛頭ありませんが、いちおう私の考えもお伝えしたく…。失礼しました。
ちかさださんありとうございました.。
お返事が遅れて大変申し訳ありませんでした。
この度のちかさださんの見解は非常に興味深く受け止めさせて頂きました。
ちかさださんがおっしゃる様に、芸術を生業とされている所謂「芸術家」と言われる方々を、通常の社会的通念や常識と言ったものに当て嵌めてそれで推し量ると言った事はなかなか難しいのかも知れません・・・
古来からそうなのですね・・・(苦笑)
彼等の規格外、または奇想天外な発想は、常識のそれとは違う所に・・・
そういったものを超えた処に在るのは確かです・・・
もし彼らが常人、凡人と同じように,固定観念や既製概念、先入観と言ったものに捕らわれているとしたらきっと,平凡な発想でしかなく、創る作品自体も全く面白味の無い、在り来たりのモノになってしまっているでしょう・・・
これらは言ってみれば「芸術家」に与えられた特権・・・
そして芸術と称するものの許されるべき所であり
芸術が持つ訴求力なのかも知れません・・・
デヴィッドはちかさださんもおっしゃる様に・・・
その音楽的才能は本当に素晴らしい
これは私も認めます
彼の音楽は唯一無二・・・
そして特に彼の声は圧倒的な説得力を持っている・・・
何ものにも代え難い唯一無比である・・・
これだけは断言できる・・・
しかし・・・
ちかさださんもおっしゃる通り今回の件は残念としか言わざるおう得ない・・・
事実彼は「欠席」した・・・それについての正確な事情は分りません・・・
しかしその後の彼の対処・・・対応を・・・
これを私は潔しとしない・・・
すっきりしない・・・
おそらく・・・
彼が欠席したこと自体をファンは責めている訳では無い・・・彼がその時に仮に判断を過ったとしても・・・
その後・・・ファンに少しでも気持ちがあったのなら
たった一つの言葉でもいい・・・
彼(デヴィッド)本人からファンに向けてその件で何がしかの説明があったとしたら皆の心情も違っていたのだ感じます。
厄介なことに人間には感情と言うものがあります。
それ抜きでは語れません、理屈では分っているつもりでいても感情となるとはそう簡単に割り切れるものでは無い・・・
作品と人
う~ん難しいです・・・
芸術も人が作ったものであるのなら
対、人との関係は全て信頼の上に成り立っている・・・
本気や誠実さ懸命さは無条件に人の心を打つ・・・
彼は神では無い・・・聖人でもない
そして私は全くもって至らない人間である
なのに・・・これまで自分が敬愛して止まなかった、彼の作品そして彼自身をも否定する・・・
私は今まで
この喉の乾き・・・
心の渇きを・・・
そんな私に彼は長きに渡り水を与えてくれた・・・
渇望―私は貪る様にそれを吸収した・・・
彼の今回の一つ過ちを・・・生涯に渡っての「許されざるべき過ちのよう」に彼を責める資格など自分には無い・・・
私が彼に刻印を押す権利は無い・・・
そう感じる私の感情自体が・・・実は問題なのかも知れません・・・
私は、今はただデヴィッドには音楽に専念して頂きたいと思う・・・
誤解を恐れず言わせていただければ・・・
彼の写真はあくまでも趣味の領域を出ない
写真を撮ることそれを自体を「糧」とし、そしてそれを生業としている所謂「写真家」と言われる方々は彼とは一線を画している
本気度が違っているのだ
音楽、写真そしてどんな世界でも人にはそれぞれに住まう場所がある・・・
天職と言ったような・・・
彼にはそれを全うして頂きいたいと切に願います。
ちかさださん、この度はお話しを聞いて何となくつかえていた物がすっーと楽になったような気持ちになりました。
ちかさださんの優しさを感じる言葉の数々と、温かさに深く感謝いたします。
本当にありがとうございました(笑)