夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

古典離れについて (その1)

2014-11-24 23:54:22 | 教育
今日の午後、県立図書館で調べ物をしている際に読んだ、『文学・語学』第210号(8月)の「平成24年 国語国文学界の動向」の特集で、目にとまったのが、このお二方の提言。

中古韻文(日比野浩信氏)
古典離れは若い者ばかりの責任ではない。一千年に及ぶ文化遺産を、衰退させるわけにはいかない。衰退に歯止めを掛け、活性化のために裾野を広げるべく、研究のみならず、啓蒙にも努めねばならない。

中世韻文(谷知子氏)
和歌はやはり「美しいが分かりにくい日本語」である。ことばが古い上に、修辞法などの約束事があり、ある程度の知識がないと理解できない。
(中略)和歌はやはり日本文学の原点である。分かりにくいからといって、現代を生きる若者に受け継いでいかれなかったら、難解な過去の遺物として見放されてしまったら、研究自体も意味を失ってしまう。研究者各人が、和歌を学ぶということの意味を常に自分に問いかけ、また社会に発信してゆく必要があると思う。

これは先日、私が公開授業をした後の意見交換会でも少し話題になったのだが、若者の古典離れが言われて久しく、高校・大学からもどんどん古典教育の機会が減っている。
最近も、『文学』隔月刊第15巻第5号(9,10月号)で「文学を教えるということ」、『リポート笠間』57号(11月)で、「古典を伝えるということ それぞれの現場から」が特集になっているのは、そのことについての危機意識が、今、かつてないほどに高まっているのではないかと思う。
この問題は私にとっても非常に重要なことなので、また改めて取り上げる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。