夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

古典離れについて (その2)

2014-11-25 22:11:47 | 教育
前回触れた、『文学』隔月刊第15巻第5号(9,10月号)は、「文学を教えるということ」を特集する。
その中で、私にとって特に参考になったのは、次の3つの論稿。

①高田祐彦氏「和歌をどう読むか―中古文学を教える」
高田氏は、高校の教科書にもよく採られている、
  ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな
             (古今集・恋一・469・よみ人知らず)
の一首を取り上げ、大学の特講で和歌をどのように教えているか、実例に即しつつ紹介しているのだが、これが有益だった。
高校の古文の授業では、上句が同音反復により「あやめ」を導く序詞で、歌の趣旨は下句にあるといった説明で終わってしまうだろうが、高田氏は序詞がそもそもどのような表現か、また上句と下句の表現がどのように対応するのかなどを丹念に検討され、〈和歌の表現のしくみ〉の魅惑的な世界へと我々を誘う。解釈にとどまらず、真の意味で〈和歌を読む〉とはどういうことか、それを全く知らずに、ただ教えなければならないものとして授業で扱っているのだとしたら、教師も生徒も不幸だと思わざるをえない。

②鈴木登美氏「翻訳と日本文学―コロンビア大学で森鴎外「舞姫」を読む―」
ニューヨークのコロンビア大学で、日本近代文学を担当する鈴木氏が、学生・院生たちと日本語と英語のテクストで「舞姫」を読み討論した事例の紹介と考察。「舞姫」は高校3年次の「現代文」教科書の定番的作品であり、テクストをどう読むかで教材研究に活かせるだけでなく、高校の授業で生徒たちに意見を言わせたり発表させたりする場合に、どんな視点から行えばよいかの参考になる。

期末考査が近くその準備もあるため、3つめの論稿については次回に。

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