夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

近代俳句を教える (その4)

2015-02-05 16:36:19 | 教育
近代俳句の単元を終えた後で、生徒たちに感想をノートに書かせてみたが、授業中は難しい難しいと言っていた割に、意外に評判はよかった。

「俳句の楽しさがわかりました。」
「自分も俳句のおもしろさが分かったので、今度は自分で作りたいです。」
「どの俳句も、いろいろな想像ができて、とても楽しかったです。」
「五・七・五というたったの十七文字で、自分の思いを他の人に伝えることがどんなにすごいことか実感しました。」
「たった十七文字という少ない字数の中で、作者の心情、風景、伝えたいことが折り込まれていることが分かった。」
「俳句を詠んでいると、発想が豊かになるので、機会があればまた詠んでみたいです。」

また、これも意外だったのだが、生徒たちの感想にいちばん取り上げられていた句は、加藤楸邨の、

  鰯雲人に告ぐべきことならず

であった。
「とても自分では考えられないような内容の句を詠んでおり、驚きました。」
とあったように、難解だけれども(あるいはそれゆえに)魅力的に映る作品もあるのだと、生徒の反応でわかった。

次の感想にはハナマルをつけてやった。

「僕は俳句を詠んだことがないので、その難しさはわからないが、それでも芸術性は高いものだとわかる。たった十七文字程度で風景を想像させ、心理をも思い浮かべさせる作者には驚かせられる。十七文字で全ての思いをこめ、伝えられるわけではないけれど、その伝えきることのできない思いすらも技巧として使っており、読者に余韻を与え、考える余地を生じさせていることはすごいと思った。
俳句は奥が深く、ただ風景をそのまま書いただけでは駄目なのだと気づかされた授業だった。」

なんだか、私の拙い短歌に対する率直な意見のようにも見えてしまった。
短歌・俳句を問わず、読者に想像する余地を残しておくというのは、とても大切なことだと思う。
芭蕉が、「いひおほせてなにかある」と言っていたと、大学時代に習ったのを思い出した。
負うた子に教えられる、ではないが、結局、今回の授業でも、いちばん大事なことを生徒に教わったように思った。

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