夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

国宝 大神社展

2013-05-21 22:59:54 | 日記
現在、わが国には全国で約8万社の神社があるそうだ。
そこには古神宝や神像など、様々な宝物が伝えられてきている。

今年は、伊勢神宮の第62回式年遷宮の年。20年に1度、御社殿を造り替え、神さまにお遷りいただく、日本一大規模なお祭りが行われる。その式年遷宮を記念して、東京国立博物館とNHKの主催、神社本庁の協力で、全国の神社に国宝や重要文化財等の宝物の出陳を依頼。神社ゆかりの名宝が一堂に会する過去最大級の機会となったのだそうだ。

展示品は、祭祀具、衣装・装飾品、調度、武具、楽器、文書、絵画、神像など多岐にわたり200点余り、しかもその多くが国宝や重文に指定されているということで、当日は会場の順路を進むたびに次々現れる名宝の数々にただただ圧倒されるばかりであった。
そのすべてを紹介することはとうていできないので、特に印象に残ったものだけを以下に取り上げる。


福岡・宗像(むなかた)大社所蔵の「三角縁神獣鏡」(さんかくぶちしんじゅうきょう)。福岡県宗像市沖ノ島祭祀遺跡(18号)出土。古墳時代のもの。
私の隣で見ていた母娘連れの娘の方が、「わ~、これ教科書で見た~!」とはしゃいでいたが、確かに日本史の教科書や資料集には必ず載っていた覚えがある。


広島・厳島(いつくしま)神社所蔵「彩絵檜扇」(さいえのひおうぎ)。平安時代(12世紀)のもので、「承安から治承年間(1171―1181)に後白河院、高倉院、建春門院らが参詣して、しばしば神宝を奉献しており、この古神宝類もこの頃の奉納と考えられる」とあった。
800年以上も昔のものなのに、これだけ程度のよい状態で保存されてきたことに驚く。厳島神社には、他にも平家ゆかりの宝物が幾つも残っているが、まるで奇跡のように思える。前期展示であったため、「平家納経」が見られなかったのはとても残念。


宮内庁三の丸尚蔵館所蔵「春日権現記絵巻」(かすがごんげんきえまき)。鎌倉時代の延慶二年(1309)西園寺公衡(きんひら)が藤原氏一門の繁栄を祈って春日社に奉納したもので、絵は高階隆兼筆、詞書は鷹司基忠筆。
展示されていたのは、白河上皇が春日社に御幸したときの場面で、画面右の御簾(みす)から袖がのぞいているのが白河上皇らしい。社頭に、付き従う者たちが整然と居並ぶさまが細密に描かれており、中世を代表する傑作絵巻の一つとされているのもうなずける。


大阪・水無瀬(みなせ)神宮所蔵「後鳥羽天皇宸翰御手印置文」(ごとばてんのうしんかんおていんおきぶみ)。鎌倉時代の暦仁二年(1239)二月九日の日付がある。これは、承久の乱(1221)に敗れて隠岐島に流され、在島19年の後に崩御した後鳥羽院が、その13日前に藤原(水無瀬)親成に宛てて認めた文書である。水無瀬離宮の跡地を譲与し、かつ自分の後世を弔うよう言い置いており、親成はこの後鳥羽院の遺告を守り、御影堂を建立して菩提を弔った。
後鳥羽院が文言とともに、自ら朱の手印を捺しているのは、遺志の遵守を強く求めたためであり、置文に手印を捺した遺例としても珍しい文書なのだという。
「此所労(病気)さりともさりともと思へども、随日(日を追って)大事(重態)に成れば、おほやう一定(きっと助からない)と思ひてあるなり」に始まる手紙は、読んでいて後鳥羽院の無念が胸に迫ってくる。あれほど望んでいた帰京が許されず、異郷の地で自らの死期を悟った後鳥羽院が、とても心の平安を得ていたとは思えない。妄念にとらわれたまま亡くなり、万一極楽往生が叶わなかったときのことを恐れ、わが菩提を弔うよう言い残さずにはいられなかったのであろう。
隠岐最晩年の後鳥羽院は、特に歌道と仏道に励み、その方面では豊穣ともいえる成果を残している。しかし、実際の院の心境はどのようなものであったのか、この置文を目にして改めて知りたくなった。

最後の展示品があることは事前に知らず、当日会場でいきなり見て、ほとんど驚愕した。月並みな言い方だが、出会いということを感じずにはいられなかった。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神社 (風の靴)
2013-05-24 13:19:42
こんにち

八万社の神社ですか??
凄いですね、驚きましたそんなにあるのですか(笑)

それにしましても、納められている宝の数々!!!

しかも長い年月が経っているにも拘わらず、保存状態も良い様でかなり厳重な管理の下にあったのでしょう。

お写真で拝見していても見て取れますが

この細部にまで拘りを感じさせる、重厚で繊細な作りになっているようで兎に角あの時代にこういった技術があったとは・・・ただただ驚きます・・・

素晴らしいです

神社や仏閣を訪ねたときは人は心が洗われると申しますか、そういった気持ちになりますよね。

そこにある、歴史に裏打ちされた神聖な空気感と、それと同時に畏怖と畏敬の念を抱かずには居られないからだと思います。

私などは普段こういった作品と触れる機会がなかなかございませんので、ちかさださんのブログで歴史的な文献(書物)、様々な調度品などを見るたびに頻りに感心しております。

貴重なお写真をありがとうございました。(笑)
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