夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

近代俳句を教える (その3)

2015-02-04 18:51:12 | 教育
先日の授業で取り上げたのは、加藤楸邨(しゅうそん)の、

  鰯雲(いわしぐも)人に告ぐべきことならず
  隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな

の二句。

加藤楸邨は、明治38年(1905)~平成5年(1993)、東京都生まれ。水原秋桜子に師事し、『馬酔木』に投句していたが、昭和15年、自ら俳誌『寒雷』を創刊、主宰する。
中村草田男・石田波郷らとともに、「人間探求派」と称される。句集に『寒雷』(昭和14年)・『まぼろしの鹿』(昭和42年)などがある。

  鰯雲人に告ぐべきことならず

授業の中で、生徒たちに「鰯雲」の絵をノートに書かせてみたが、たいていわかっていた。辞書にあるように、秋のよく晴れた空高く、斑点状、または列状に一面に群がり広がる雲であり、「うろこ雲」とも呼ばれる。

発問は、教師用指導書にあった問いを利用し、この「鰯雲」の光景と「人に告ぐべきことならず」という心情がどのように結びつくか、と尋ねた。

いちおう、指導書には、答えとして〈鰯雲の白く淡い微妙な陰翳や繊細さと、胸中にひそかに秘めておく思いとが照応する〉とあるが、俳句としては無理があるという見方もあるようであり、非常に難解な句であるのは間違いないだろう。

生徒の答えは、さまざまであったが、その中で、

・鰯雲の美しい光景は、誰にも教えず、自分だけで独占して眺めたい。

という解釈が数人いた。美を解する者にしては、心が狭すぎないか、とツッコミを入れたが。

・鰯という弱くて群れをなして生きる魚と、作者が自分の中にある心の弱さとを結びつけ、誰にも告げないでいようと思っている。
という解釈は、「鰯」という言葉に引きずられすぎ、もっと「鰯雲」のイメージを適切に思い浮かべ、この思いを人に告げることはできない(人に告げるべき事ではない)なあと感慨を覚えながら眺めている作者の心情を考えてみようと話した。
季語が作者の心象風景となっている例であるが、作者の心情が読者にそれと知らされないからには、表現として破綻しているのではないかと指摘する生徒もいた。

・明日は海に鰯の大群が出現するので、他の漁師には知らせまいということ。

という答えには、授業をしていたクラスで大爆笑になった。
たしかに辞書を見ると、「鰯の大漁の前兆ともいう。」と説明にあるが、そこまで即物的に考えなくても…。

  隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな

生徒たちにはまず、「隠岐の島」といえばどんなイメージがあるか、と尋ねてみた。
教師の立場としては、〈日本海の荒波に囲まれた離島で、厳しい自然風土〉、〈小野篁・後鳥羽上皇・後醍醐天皇などが流された、流罪の地〉といった答えを期待していたのだが、観光とリゾートの島としての印象が強いようで、そういう答えが多かった。中には、
・鬼退治。
という答えもあった。(鬼ヶ島と隠岐の島は違うだろう…。)
・自然豊かな島で、周りが海で大波が押し寄せてくる。
・遠い島で孤立した場所。
というのは、かなり隠岐のイメージをよくとらえている。

次の、「木の芽をかこむ怒濤かな」はどんな情景か、という問いには、生徒たちはだいぶ苦戦していた。

指導書を参考にすると、〈四方から荒波が押し寄せる厳しい自然に耐えて、この隠岐島にも再び春がめぐって来、島中で今、木の芽がいっせいに芽吹いている早春の情景〉と考えられるようだが、たった十七音でここまでの内容を表現できるのが凄い。

・春に木々に萌え出た木の芽を襲うかのような勢いで、島の周囲から怒濤が押し寄せている。
・海辺に芽吹いた木々の芽が大波にさらわれようとする様子。

といった解釈が多かったのだが、俳句では季語に作者の心情が託されていることが多いから、作者はむしろ、「木の芽」の立場に立っていると考えて、この俳句を受け止めるべきではないか。小さな木の芽が冬の厳しい寒さに耐え、今、春を迎えて、島の周囲から押し寄せる怒濤に張り合うように、懸命にその芽を出し始めている、という想像を島全体に広げた、微視的でもあり巨視的でもある句なのではないか、ということを生徒には説明した。

隠岐の海は冬場は特に荒れやすく、今でもフェリーや高速船が冬期はたびたび欠航するという。まして昔、隠岐に暮らす人々は、厳しく閉ざされた冬を過ごしていただろうから、春を待ち望む気持ちはわれわれが想像する以上に強かったに違いない。
そうしたことも考え合わせながら、この俳句を読んでほしい、と生徒に話して授業を終わりにした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。