夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

絹への道

2012-11-02 21:42:03 | 雑談
今日、堀江敏幸の小説「送り火」(センター試験平成19年本試験に出題)の解説授業をしていたら、自分の名前にコンプレックスを持つ女性が出てきた。

実家で営んでいた養蚕にちなんで、祖父母に「絹代」と名付けられた彼女は、少女時代からその名にコンプレックスを持っていたが(注1)、陽平さんという男性との出会いによって、着る者を優しく包む絹のように、私はこの人に愛されるために生まれてきたのだと悟り、プロポーズを受け入れる話である。

この絹代さんの話から、つい自分の高校時代のことを思い出してしまい、生徒に話をしたら、妙に真剣に聞いていた。

…そのころの私には、文通相手がいて(以前書いた、元・交換日記の相手とは別人)、時々手紙をやりとりしていた。(ここで生徒には、当時はインターネットもケータイもなかったので、相手に直接手紙を書いて郵送し合う「文通」というシステムがあったことを説明した)。

文通にあたって、最初に相手の女の子から頼まれたのは、「私は自分の名前が好きではないので、手紙の宛名は本名で書いてもらうしかないけど、手紙の中では、私を“なつき”と呼んでくださいね」ということだった。

私から見れば、特に変な名前でもないし、本名以外で名前を呼ばれることに違和感はないのかな?と不思議だった。

でも彼女からすれば、古風な名で、しかも男女共に用いることのできる名なので、女の子らしくないと抵抗感があったのだろう。

女性というのは、時々、意外なところで悩んでいたり、コンプレックスを感じていたりするものだ。きっと男は、そんなことに少しも気づかずに、何気ない言動で傷つけたり怒らせたりしているに違いない。

…小説では、絹代さんの子供の頃からの話に、陽平さんが真剣に耳を傾けてくれる姿が、絹代さんの固く凍り付いていたコンプレックスを解かしていってくれる。そして、陽平さんが正月の書道教室で(注2)、子供たちと絹代さんの前で、今年の僕の抱負ですと言って、そのころ人気のあったテレビ番組(おそらくNHKの「シルクロード」だろう)にことよせて「絹への道」と書いた習字を披露し、絹代さんは嬉しさと恥ずかしさで顔を上気させるところで場面が終わっていた。


文通相手は、陽平さんのような人に出会えただろうか?彼女とは、私が大学に進学したのを境に、音信も絶えてしまったが、その後はきっと、名付けられた自分の名前を素直に受け入れられる女性になっていると信じている。



(注1)「絹代」という名は、実家の2階の20畳の板間で養蚕をしていた祖父母が、たいせつに育てていた「おかいこさん」にちなんで名付けたのだが、少女時代の彼女には、蚕の幼虫はただグロテスクなだけだった。また、心ない友達に名前のことで嫌みを言われたころもあり、彼女の心の中には、自分の名前(とおそらくは自分自身)への劣等感が形成されていた。

(注2)陽平さんは、絹代さんの家の2階を書道教室として借りていた。絹代さんは、30を前にしても独身だったが、父親を亡くし、母親と2人だけの生活では心細いので、2階の20畳の部屋を独身女性向けに間貸ししようと周旋屋に頼んでいたが、やって来たのは、その部屋を書道教室に使わせてほしいという、40代後半の陽平さんだった。陽平さんは、脱サラして教室を開くのに、部屋の広さと、小学校に近いという立地条件の良さに惹かれて、ここを選んだ。

※この記事は、最初、下書きの段階のものが残ったまま配信してしまいました。失礼いたしました。

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