
幸田文の文章はすばらしい。それまで彼女の名前も知らなかった者でも、一読、その文章世界に引き込んでしまうのだから。
一学期の後半、二年生の現代文の授業で、『みそっかす』の一場面を取り上げた。授業の導入で、
「幸田文を知っている人?」
と生徒に聞いたら、
「誰それ?」
「倖田來未なら知ってるけどw」
という反応だったのだが、生徒に文章を読ませ、内容を理解させていくにつれ、作品に描かれた出来事や人物に共感していくようすが伝わってきた。
『みそっかす』には、幸田文の幼少時の思い出が描かれているのだが、この場面には、五歳で亡くなった生母が出てくる。
夫の露伴が、料亭やレストランで食べた料理の話を家ですると、二、三日のうちには、その料理がほぼ原品に近い出来栄えで食膳に載せられた話とか、着物はいつも夫の着古しを仕立て直して着ていたが、もと男物の地味な着物を見事に着こなしていた話とか、生徒は興味をもって聞いていた。
授業が終わった後で感想文を書かせたら、男子生徒の多くは、「将来、こんな人と結婚したい」と書いてきた。(まあ、いませんよね)
好評に気をよくして期末テストで出題したのだが、今、採点していて、軽く考えて出した設問が意外に難しい問題だったのに気づいた。
幸田文の生母は、夫の露伴に、「わが新衣を購わんより君が書物を」と言ったという。ここに傍線を引いて、
(1)「君が書物を」の後に省略されている言葉を考えて、現代語で八字以内で答えよ。
(2)なぜこのように言ったのか。簡潔に答えよ。
という問題を出した。(1)は、「買ってください」(7字)ですぐに答えが出るが、(2)は、必ずしも簡潔には答えられないことがわかってきた。
「自分のために新しい着物を買うよりは、そのお金で夫に書物を買ってもらい、仕事に役立ててほしいと願ったから。」といった解答を想定しており、実際に生徒の答えもこの線で出てきているのだが、こう言った彼女の気持ちにはじゅうぶん届いていないような気がしてきた。
彼女としては、夫が稼いだ収入を自分の着物を新しくするためなどに使うのが申し訳なく、それよりも、作家であり研究者である夫が、商売道具である書物を買って、よりよい仕事をしていただきたいと、心から思っていたのではないだろうか。
そして、ここまで書いてきてどうしても思い出さずにいられないのは、私の母が、私の大学時分に、『国歌大観』を買うために月々お金を用立ててくれたことである。また、『蜻蛉日記』の専門書を新宿まで行って買い求めてくれたことさえあった。
今にして、このようなバカ息子の、役に立つかもわからない勉強のために、よくここまでしてくれたと、そのひたすらな気持ちに頭が下がる。文豪・露伴の仕事には遠く及ばないが、母に書籍費を捻出して支えてもらったことを、今後も勉強に活かしていく。
一学期の後半、二年生の現代文の授業で、『みそっかす』の一場面を取り上げた。授業の導入で、
「幸田文を知っている人?」
と生徒に聞いたら、
「誰それ?」
「倖田來未なら知ってるけどw」
という反応だったのだが、生徒に文章を読ませ、内容を理解させていくにつれ、作品に描かれた出来事や人物に共感していくようすが伝わってきた。
『みそっかす』には、幸田文の幼少時の思い出が描かれているのだが、この場面には、五歳で亡くなった生母が出てくる。
夫の露伴が、料亭やレストランで食べた料理の話を家ですると、二、三日のうちには、その料理がほぼ原品に近い出来栄えで食膳に載せられた話とか、着物はいつも夫の着古しを仕立て直して着ていたが、もと男物の地味な着物を見事に着こなしていた話とか、生徒は興味をもって聞いていた。
授業が終わった後で感想文を書かせたら、男子生徒の多くは、「将来、こんな人と結婚したい」と書いてきた。(まあ、いませんよね)
好評に気をよくして期末テストで出題したのだが、今、採点していて、軽く考えて出した設問が意外に難しい問題だったのに気づいた。
幸田文の生母は、夫の露伴に、「わが新衣を購わんより君が書物を」と言ったという。ここに傍線を引いて、
(1)「君が書物を」の後に省略されている言葉を考えて、現代語で八字以内で答えよ。
(2)なぜこのように言ったのか。簡潔に答えよ。
という問題を出した。(1)は、「買ってください」(7字)ですぐに答えが出るが、(2)は、必ずしも簡潔には答えられないことがわかってきた。
「自分のために新しい着物を買うよりは、そのお金で夫に書物を買ってもらい、仕事に役立ててほしいと願ったから。」といった解答を想定しており、実際に生徒の答えもこの線で出てきているのだが、こう言った彼女の気持ちにはじゅうぶん届いていないような気がしてきた。
彼女としては、夫が稼いだ収入を自分の着物を新しくするためなどに使うのが申し訳なく、それよりも、作家であり研究者である夫が、商売道具である書物を買って、よりよい仕事をしていただきたいと、心から思っていたのではないだろうか。
そして、ここまで書いてきてどうしても思い出さずにいられないのは、私の母が、私の大学時分に、『国歌大観』を買うために月々お金を用立ててくれたことである。また、『蜻蛉日記』の専門書を新宿まで行って買い求めてくれたことさえあった。
今にして、このようなバカ息子の、役に立つかもわからない勉強のために、よくここまでしてくれたと、そのひたすらな気持ちに頭が下がる。文豪・露伴の仕事には遠く及ばないが、母に書籍費を捻出して支えてもらったことを、今後も勉強に活かしていく。