夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

東塔・根本中堂

2014-03-19 23:11:54 | 旅行
もと来た無動寺谷参道を、今度は上り坂に難儀しながら歩き、再び延暦寺ケーブル駅前を過ぎて、東塔エリアへ向かう。
その途中に、延暦寺について簡単に説明した看板があり、
  世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡の御山(おやま)をぞいふ
という慈円の歌(『拾玉集』宇治山百首・1089)が紹介されていた。
延暦寺は、延暦七年(788)伝教大師・最澄により開かれた仏教修行の山岳道場。天台宗の総本山で、山門と呼ばれる。
深山の道の左手には切り立った崖、右手には深い谷があり、高い木々の間から向こう側に堂塔が見え、鐘の音が聞こえてくる。
延暦寺会館に着いた頃、参拝客に向けて放送が入った。まもなく午後2時46分になりましたら、皆さま、東日本大震災の犠牲者の方々の御冥福をお祈りして、一分間の黙祷を捧げましょう、ということだった。
地震や津波で被害に遭われたり亡くなられた方々、今なお被災地で、あるいは仮設住宅での生活を余儀なくされている方々を思い、お祈りを捧げた。


手水所の前に、消え残っている雪が。この後、延暦寺の総本堂・根本中堂(こんぽんちゅうどう)に参ったが、その庭にもまだたくさんの雪が残っていた。この日は3月16日で、旧暦では2月16日の春半ばなのに、御山では春が遅いのだなあと思う。
国宝・根本中堂には、御本尊の薬師如来がまつられた宝前に、開創以来1200年守り続けられている「不滅の法灯」が輝いていた。ここでは、両親の長生きと亡き友人の冥福をお祈りした。

御堂を出てすぐの廻廊のところに、
  あきらけく後の仏の御世までも光つたへよ法のともし火
という最澄の歌が掲げられていた。
この歌は、『新拾遺和歌集』(釈教・1450)の歌で、詞書に「比叡山の中堂にはじめて常灯ともしてかかげ給ひける時」とある。最澄が一乗止観院(いちじょうしかんいん。現在の根本中堂)を建てた時に詠んだ歌である。


重要文化財の大講堂。学問修行の道場であり、ここで経典の講義などが行われるのだそうだ。
この大講堂の前に鐘楼があり、「平和の鐘」を誰でも撞くことができる。ケーブル駅を出た時から聞こえていたのは、この鐘の音だったのだ。


右は法華総持院(ほっけそうじいん)で、慈覚大師・円仁(えんにん)によって創建された天台密教の根本道場。左は阿弥陀堂で、先祖や故人の供養をする御堂。

この時詠んだ歌。
  深き谷切り立つ崖に囲まれし比叡の寺よりひびく鐘の音
  3.11震災起こりし時刻にぞ御山をあげて黙祷捧ぐる
  如月の半ばなれども風さえて雪なほ残る比叡の山陰
  み仏の御前にともせし法(のり)の灯(ひ)を今につたふる根本中堂
  常灯は不滅の光といふなれば父母の長寿ぞまづ祈らるる