ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

6/11日に歩いた鳳来寺山 その1:玖老勢(くろぜ)から山に入る

2024-06-14 04:37:37 | 草花

ちょっと長くなりますが・・・・・・鳳来寺と鳳来寺山について少々:

鳳来寺山は標高695mで、山全体が国の名勝及び天然記念物に指定されています。
今から1,500万年前の火山の名残で流紋岩などでできています。
“声の仏法僧”とも呼ばれる愛知県の県鳥・コノハズクが棲息していたことでも知られていますが、今は聞くことが出来なくなりました。

山の中腹にある鳳来寺は、今から約1,300年前に利修という仙人によって開山されたと言われています。
利修仙人は570年4月7日、山城の国(京都と奈良の間)に生まれたと言われます。
(修験道の開祖である役行者の血縁だったという説もあります。)

この利修仙人は鳳来寺山の木の洞の中に住み、鳳凰や竜と仲良くしながら修行を続けていたらしいのですが、なぜか655年に(85歳の時)

百済へ渡り、修業をしています。
さらに672年、文武天皇が病気になった時、利修仙人に勅使が使わされ、利修仙人は鳳凰に乗って都へ出向き、7日間祈祷を続けて天皇の病気を治療しました。
大変に喜ばれた天皇が、仙人の願いを聞き入れ、三河のこの地に伽藍を建立したということです。
仙人が鳳凰に乗っていたことから、「鳳来寺」とし、この山は鳳来寺山という名前になったとのこと。

また703年には聖武天皇の病気を治し、光明皇后より仁王門の額を授けられています。(このとき163歳。)
仙人は地元で悪さを働いていた三匹の鬼を改心させ、従者として従えていたそうですが、878年、
308歳で亡くなる際、この三匹の鬼たちも仙人を慕って死の供をしたのだということです。
その鬼の首は鳳来寺本堂の下に封じられたと伝えられます。

鳳来寺の本堂に行くには麓から1425段の石段を歩いて登らねばなりませんでしたが、1971年に開通した鳳来寺山パークウェイによって車でも楽々と本堂近くまで行くことが出来るようになりました。
しかし、そのことによって“声の仏法僧”と呼ばれるコノハズクが近づかなくなってしまい、その奥ゆかしい声を聞けなくなってしまったのは残念なことです。

また於大の方がこの寺を参詣し子授けを祈願し、徳川家康を身籠ることが出来たということであります。

なおこの鳳来寺山には「頂上」とされる場所が二か所あります。
その一つは最高地点の695メートルある「瑠璃岩」または「瑠璃山」という場所で、やや危険な岩の上です。
もう一つは一般的に「山頂」とされている、やや広めの土の上で、誰もが安心して留まることのできる場所で、
標高は684メートルとされています。大概の場合はこの684メートルの「山頂」に来てそこで帰るようです。

長くなりましたのでこの辺で切り上げます。

6月11日に鳳来寺山を歩いてきました。JR飯田線の本長篠駅で下りて、豊橋鉄道バスで玖老勢(くろぜ)の停留所まで行き、そこから山歩きは始まり、終わりはJR飯田線の三河大野駅まで、およそ15km(2万6千歩)の徒歩行程でありました。

位置図(赤い線分を歩いた) ↓

 

遠望図(カシバード) ↓

これは豊川の橋の上から見た場合の展望予想図です。

 

行程図 ↓

時計回りに歩いています。

 

断面図 ↓

左から右に歩いています。

 

乗ったバス ↓

かなり空いていました。

 

 

玖老勢(くろぜ)のバス停付近 ↓

ここから徒歩行程が始まります。

 

 

山の斜面に墓地 ↓

子孫の生活を見守る場所として良い位置ですね。墓地ボチ参りましょう。

 

 

旧私鉄の線路敷き跡地 ↓

1968年に廃止線となった旧豊橋鉄道田口線(本長篠駅-三河田口駅間13駅22.6km区間)の跡地を歩いて行きます。

 

 

キツネアザミ ↓

道沿いにキツネアザミが咲いています。

 

 

ドクダミ ↓

 

 

クマノミズキ ↓

この花を見た後、民家の脇を通り、右折してやっと山に向かうことになります。

 

 

始めは車道 ↓

車道と言っても林業の材木運搬用の道路でしょうか。

 

 

シキミ ↓

まだ人家が近いので仏様に備える木が植わっています。(若い実が見える)

コメント (4)
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