ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

六月をモチーフにした俳句ってあるのでしょうか?

2024-06-07 17:17:54 | 草花

「六月」を題材にした俳句は数少ないのではないかとネット検索してみたら、意外とあって、松尾芭蕉の 

♪六月や峯に雲置くあらし山 ♪という句もありました。

飯田龍太の♪六月の花のざわめく水の上♪という句も「何の花かな?」という点で興味がありました。

 

句の意味するところが判らなかったものでは


♪六月の女すわ(座)れる荒筵(むしろ)♪    石田波郷がありました。

ネットで調べて見ると、上の句は戦後間もないころ(昭和21年か?)に石田波郷が実際に見た光景だったようです。

戦後の焼け跡の情景で、壁も天井もない、筵を垂らしただけの掘っ立て小屋。
筵に囲まれた片隅には空缶に活けたオモダカがわずかに女を飾っていた・・・と波郷が記しています。

「壁も天井もない」とは、ちゃんとしたそれらがないということで、四囲も天井もそれこそ荒筵(あらむしろ)で覆っただけのまごう事なき掘っ立て小屋でしたでしょう。
終戦直後の焼け跡には、こうした「住居」が点在していたものであったそうです。
女が「六月」の蒸し暑さに堪えかねたのか、壁代わりの筵が一枚めくり上げられていて、室内が見えた。
もはや欲も得もなく、疲労困ぱいした若い女が呆然と筵にへたり込んでいた。

句の中には、あえて空缶のオモダカを詠みこまずに、抒情性とはすっぱり手を切った。
句に抒情を持ち込めば人の哀れの感は色濃くにじむのだろうが、それでは他人事に堕してしまうので、あえてオモダカのこの情景描写を排した。
そのことによって詠まれた一人の女の哀れさではなく、作者を含めて焼け跡にあるすべての人間に共通の(哀れなどの情感をはるかに通り越した)すさまじい絶望感飢餓感を、荒筵にぺたんと座り込んだ女に託して詠みきっている。・・・・・・と解説されていました。

上の記述とは全く離れてしまいますが、本日、お医者さんからの帰り道で見た花などを少々・・・。

ヤマモモ ↓

公園の植栽ですが、地面にも実がたくさん落ちていました。

 

 

アメリカノウゼンカズラ ↓

 

 

カシワバアジサイ ↓

 

 

堆肥作り ↓

拙庭内で試しに作り始めました。

 

 

トウチクラン ↓

先年亡くなった義姉の形見になってしまいました。絶やさぬように細心の注意をしています。

 

 

28cm ↓

きゅうりの初生りは28㎝になっていました。もいで味噌をつけて食しましたが、やや甘みもあり。

コメント (6)
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