久留百合子の生活者視点

仕事、旅行、日常のちょっとしたことから得た情報、生活者として感じたことなどを綴ってみます。

自分が経験して初めてわかること・・・

2011-06-15 11:29:36 | Weblog
 先週5月17日火曜、父が亡くなりました。昨日も父から紹介された歯医者さんに定期健診に行った時、父が10年も通っていたこと、亡くなる前日も来ていたそうで、先生はどうしても信じられないとおっしゃっていました。

 実は、先月25日に、今回の経験や思ったことを書こうとここまで書いて、どうしても筆が進みませんでした。それから仕事の合間をぬって葬儀に来ていただい方へのご挨拶や49日の準備など、本当にあわただしく1か月になろうとして、やっと書けそうなので書いています。

 89才でしたので、大往生といえるのでしょうが、何しろ本人も周りも、冗談ながら「きっと100才まで生きるねー」と言っていたぐらい、元気で、好奇心旺盛で、人と話すのが好きで、毎日仕事に行っていましたので、17日午後4時頃、妹から携帯に、父が倒れて救急車で運ばれたと知らせを受けた時は、本当にびっくりしました。しかし、きっとちょっとしたことで、すぐに元気になると思って病院に駆け付けたのですが、1時間ほどで亡くなったのです。こんなことがあるのでしょうか・・・

 大分気持ちは落ち着きましたが、祭壇の写真を見たり、歩いていた姿などを思い浮かべるとまだ涙が出てきます。

 今回のことで、頭で分かっていることと、やはり経験しないと本当のことは分からない、ということが良く分かりました。
 一言で言うと、私はこれまでいかに人の死ということが分かっていなかったか・・・だれでも亡くなるし、特に親は普通自分より先に亡くなると分かっているのですが、元気でいつも会っていると全然覚悟ができていない・・・

 周りの方々はもっとびっくりされていました。葬儀でもその後ご挨拶に行っても、「1週間前に会いました」「2日後にお約束していました」「あんなにお元気だったのに」と私たちもそうですが、まず悲しいという前に、本当のことなのだろうか、という気持ちがして・・・

 しかし今から思うと、5月の連休に九重・湯布院にいっしょに旅行していたし、2日前にはいっしょに食事をしていたし、亡くなった当日の午前中も電話で30分近く相談にのっていたし・・・などなど、忙しい時は1か月話していない時もあったことを思うと、悔いはないかなーと思ったりしています。

 通夜、葬儀にはたくさんの方々に来ていただいてびっくりしました。亡くなった夕方から夜が一番大変だった気がします。夜10時頃までかかって、通夜、葬儀をいつするか、どこで、どのくらいの大きさの会場でするか、ほとんどこの日に決めなくてはいけません。よく言われることですが、悲しんでいる暇はない・・・
 兎に角、お寺のこと、戒名のこと、式の進行のこと、すべて初めての経験ですので。プロとはいえ、積善社の方はよくしてくれました。多少行き違いがあったりということはありましたが、一から十まできめ細かいことまで教えてもらい、進行してもらい、何とか無事に通夜、葬儀をすますことができました。

 私は今これまでの自分を大いに反省しています。これまでもたくさん訃報を受けましたし、たくさんのお葬式にも行きましたが、特に親戚関係では、遠いこともあって、心無い対応をしていたなーと思います。
 今回、父の関係、仕事の関係、そして私の関係の方々もたくさん来ていただきました。私は皆さん忙しいので、自分からは知らせないと決めていたのですが、会合の欠席を知らせなくてはいけない関係で話したのと、ある会の人に知れ、その人が周りに知らせてくれたのとで、父のことは知らない方も、私に対してたくさん来ていただきました。
 そーか、「これまでのあなたとの係わりで、お父さんが亡くなって大変でしたね」という気持ちで来てくださったんだなー。私はこれまでそのような気持ちが薄かったような気がします。あの方にはお世話になっているけれど、お父様は知らないし、ちょっと仕事で行けないなーと思って失礼したことなどを思い出します。

 勿論形式的な方もいらっしゃるでしょうが、忙しい中を駆けつけてくださった方のお顔はしっかり覚えています。正直嬉しかったです。こういうことが経験して初めて分かるのですね。

 あーまだ晩年の少し年取ってきた感じの話し方やよく言っていたことなどを思い出すと鼻がつんとしてきます。
 来週日曜は49日、夏は初盆になります。このような行事を進めていきながら、心落ち着いてくるのでしょうね


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