久留百合子の生活者視点

仕事、旅行、日常のちょっとしたことから得た情報、生活者として感じたことなどを綴ってみます。

新しいデパートの形?

2007-11-09 09:45:55 | Weblog
 先週リバレインの地下にオープンしたサロン・ド井筒屋U。10月30日、内覧会に行ってきました。
 半年ほど前にオープンすることは聞いていましたし、場所もリバレインでワンフロアー、これまでとは違ったデパートになるだろう、これまでのデパートの概念を壊すものにあるだろうという期待に胸膨らませて見てきました。
 
 まず「私のほしい物がある」と思いました。どんなに素敵な店でも、私がほしい物がなければ行く気にはなりません。
 次に「おもしろい」と思いました。洋服は洋服だけ、靴は靴だけという置き方ではなく、生活シーンによって商品の置き方が分かれているのです。まず、入ってすぐは、パーティシーン。ちょうどこれからの季節にぴったりの洋服やドレス、バッグ、アクセサリーがあります。次は、仕事、そしてオフ、旅行となかなか楽しい設定になっているのです。
 2周ぐらい回ってみて、ふと感じることがありました。「これまでのデパートのように、どこに何があるかわからない、探せないほど商品はなくてもいいのではないか」ということです。
 デパート=百貨店、あらゆる商品が揃っている所。でもそのすべてが私のほしいものではないわけです。ピタッとくる商品があればいいのです。品数ではありません。
 井筒屋の発表を見ると、ターゲットは40代、50代の高級志向の女性だそうです。岩田屋Zサイドがターゲットを20代、30代の女性と言って、我々年代の女性のひんしゅくを買ったことを思い出しますが、勝手なもので今回は、私たち年代にぴったり、そして好みが合うものが置いてある、と喜んでいます。だって、若い人の店は山ほどあるではありませんか。地下街も新しく出来た所は若い人の店ばかりですし。

 ファッションだけではなく、ペニンシュラの紅茶、石村萬盛堂の高級店萬年家などなど他にはないいい店が入っています。何だかあそこに行けばちょっとリッチな気分になれるという店です。

 あとは、接客。先日は内覧会だったので、通常の雰囲気は分かりません。私はこれまで井筒屋の常連客ではなかったからでしょうが、この日もまったくだれからもご説明はなく、ちょっと物足りなさを感じました。
 近いうちにお客として行ってみましょう。コンセプトはマンツーマンの接客ということですが、実際はどうなのか、楽しみです。

 仕事がら、自分も含め、消費者はどのような時に”財布のひもを開く”のか、とよく考えます。勿論、必要な物がある時は当然ですが、特にファッション関係の物や高級嗜好品などは、どうしてもいるものではありません。でも買いたくなる時はどのような時か?その気持ちにさせるには?このあたりの消費者心理を的確に、さらに一人一人の”心地よさ”を捕らえたところが勝ち残っていくのではないでしょうか。

あー少し後悔!

2007-11-08 11:25:25 | Weblog
 今朝の電車の中。私はいつもの通勤電車に乗り込んで、少し中に入った所、目の前に立っていた小学生と母親との会話につい聞き耳をたててしまいました。
 
男の子「大橋はひとが多かったけど、高宮や平尾は少ないね。どうして少ないと。大橋がまちやね」
母親「だから大橋は急行が停まるやろ」
男の子「高宮や平尾はいなか?いなかってどんなとこ?まちってどんなとこ?」
母親「まちって、すぐ便利な所に駅や家があってたくさんコンビニがあるとこ」
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 これからもたわいのない会話が続くのですが、朝の通勤列車の中ほほえましい光景に何だか私も顔がほころんでしまいました。

 街中や乗り物の中で、見るからにイライライして怒り飛ばしている母親の姿、中には叩いている姿を見るととても心が痛みます。一方、今朝のようなほのぼのとした親子の会話、何よりも母親が子供の話、問いかけを受け止めて会話をしている姿を見ると、とても嬉しい気持ちになります
 この感情は、たぶん、自分の子育てのことを無意識に思い出しているからではないかと思います。あーあんなに感情的に怒った時もあったなーとか、もっと余裕をもって子供と接してやればよかったなーとか、どちらかと言うと後悔の気持ちの方が多いのですが。

 今我が子が30才近くになっても、子育って難しいなー、あーすればもっと立派に育ったのかなーなど、未だに結論は出ていません。
 でもひとつ言えることは、知識よりも何よりも子育て、特に小さい時は、余裕をもって育てなくてはいけないなということです。勿論経済的な面もですが、もうひとつ大事なことは、母親の精神的余裕。
 現実には、子育てに”余裕”という言葉は一番遠い言葉かもしれません。しかし敢えて”余裕”を持ってと言いたいのです。それは決して母親だけに余裕を持てということではなく、まずは家族全員が母親が余裕を持てるようにサポートしてほしいということです。そして、現代のような核家族の時代には、もっと広いサポートが必要だと思います。近所だったり、地域だったり、公共のサポートだったり、兎に角たくさんのサポートがあるに越したことはなのです。

 少しでも多くの子供が健やかに育てば、先々いい社会になると思います。教育も含め、子育ては重要!子育てを本気で重要事項と位置づける社会、国でなくてはと思う今日この頃です。