久留百合子の生活者視点

仕事、旅行、日常のちょっとしたことから得た情報、生活者として感じたことなどを綴ってみます。

1,600人の高校生に伝えたいこと

2011-06-30 17:11:03 | Weblog
 昨日、太宰府にある筑紫台高校の創立記念日の講演を頼まれ、朝9時40分から1時間、「私たちの暮らしと環境・エネルギー問題」という題で話をしてきました。
 全校生徒1,600人と聞いた時は、一瞬迷いました。これまでも500人、700人という講演会でもものすごくエネルギーがいって、満足感が薄い・・・という経験を何度もしているので、どうしたものかと思いましたが、高校生に伝えたいこともあるので、引き受けることにしました。

 震災があったり、原子力の問題もあるので、今回はいつもと話の順序やポイントを変えて、講演内容を作りました。まず原子力の話をもってきて、今どこで問題が起きており、九州の原子力事情はどうであるか。さらに「今こそこれからの時代を背負っていく、あなたたちが日本のエネルギーのことを考えなくてはいけないのですよ」ということを強調して話を始めました。
 パワーポイントの資料28枚、グラフやクイズを入れて、退屈しないよう、視覚的にも訴えるようにと工夫したつもりでしたが、何しろ1,600人。体育館でのプロジェクター使用は無理だったようです。

 もうひとつの問題は、暑さ。昨日は34℃ぐらいあったようで、体育館は生徒たちの熱気で蒸し風呂のよう。話し終わると、全身汗びっしょでした
 話を聞く方の生徒も暑かったでしょう。一生懸命話しましたが、さてどれだけの生徒が聞いてくれ、どれだけのことが伝わったか。手ごたえがほとんど分かりませんでした。壇上からですので、生徒全体は見渡せるのですが、彼らの反応までは掴めないので、ものすごく話しづらかった印象だけ残りました

 今回の震災をきっかけに、若い彼らが、自然のこと、人の死について、多くのことを失った悲しみ、日本のエネルギー事情、原子力発電のこと、これからの日本のことなど考えてくれるといいなーと願わずにはいられません。私も小さい力ながら、エネルギーを振り絞って彼らに語りかけたつもりですが・・・

大連に行ってきました

2011-06-27 16:23:02 | Weblog
 先週金曜日お休みを取って、2泊3日で大連に行ってきました。福岡から1時間3,40分。国際線ですから前後の時間はかかりますが、大連も空港が市内から近く、福岡も空港が近いのでそれは便利で、何とも近い国だなーとつくづく思いました

 以前から大連はきれいな街だと聞いており、一度は行ってみたいと思っていたのですが、本当にきれいで印象のいい街でした。人口400万人、周辺も合わせると600万人近くだとか。主要道路はほとんど片道4,5車線で、車が多いのにびっくり。高い新しいビルがたくさんあって、今もどんどん建設されています
 地方から若い人がたくさん仕事に来るのでしょう。郊外には高層のアパートが筍のように立っています。そして、また次々に建てられています。
 市内は地下鉄の工事中。大連と旅順を繋ぐモノレールも建設中です。

 街はゴミひとつ落ちていなくて、本当にきれいでした。公園は少ない気がしますが、大きなポプラの街路樹が続いており、分離帯にはピンクと白の花が敷き詰めてあったり。
 建物は最新のビルが立ち並んでいる中に、一部ロシア時代の建物があったり、日本が占領していた時代の満鉄関係の建物があったり、新旧のコントラストもマッチしています。

 満州は戦前約40年間日本が統治していたのですが、満鉄の繁栄はすごかったようです。今は資料館になっている満鉄会社の建物に当時の写真がたくさん飾ってあり、たくさんの企業や学校が作られたことが分かりました。
 また、やまとホテルも古いまま残っており、現在もホテルとして使われているのですが、資料室もあり、ここも歴史を知るのに勉強になりました。

 実質1日しかない強行軍でしたが、着いた次の日は思いがけなくいい天気で、午前中は旅順に行きました。日露戦争の激戦地となった203高地や会談が行われた建物などを見学。ロシア船を攻めた入り江や湾がよく見える白玉山にも行き、しばし「坂の上の雲」を思い出して眺めました。

 ガイドさん言わく、旅順に来る日本人の観光客は、年齢が高い人が多いらしく、この日も次から次に来るのは日本人の中高年者ばかりでした。

 旅順でも大連の満鉄資料室でも嫌だったのは、満鉄のマークが付いた、切子のグラスや焼き物などの慰留品を販売していること。輝きを失ったグラスを見ていると、これらを残して満州から引き揚げてきた人の悲しみや無念さが見えるようで・・・この時に残留孤児が生まれたことなどを考えると、とてもお土産として買う気分にはなれませんでした。

 今回本当に短い滞在でしたが、中国の勢いを目の当たりにしました。土地があって、仕事があって、若者の労働力がある時期は街も発展していきますよね。それを進めていく時に、電気や水などのインフラの問題、大気汚染、温暖化などの環境問題が起こってきます。
 現に、大連も大きな川がないので、水問題が深刻だとか。ある一定以上の水を使うと料金が跳ね上がるシステムになっているそうです。

 成熟の国である日本とこれからの国中国。ニュースで見たり、話しに聞くだけではなく、時々中国の勢いは生で見ておきたいと思った今回の旅行でした
 

中高年の多さにびっくり・・・

2011-06-23 14:04:09 | Weblog
 昨日、夫と「小椋佳と九州交響楽団とのジョイントコンサート」に行ってきました。アクロスの会場は満杯。3階まで一杯です。これだけでもびっくりしたのですが、来ている人の層がそれはみごとに中高年それも夫婦づれが多いのに再度びっくり
 「中高年の夫婦がこんなに仲が良かったんだー」と嬉しくなってしまいました。熟年離婚だの家庭内別居など、日本の中高年夫婦のイメージは大変暗かったのですが、コンサートにいっしょに行く夫婦がこんなにいるというのは、明るい兆しです
 この手のコンサートでは、高橋真理子のに行くのですが、このコンサート来ているのは、もう少し年代が若く、カップルも結構いますが、圧倒的に女性が多いです。ですから、この中高年カップルの多さは、目を見張るものがありました

 小椋佳は今年67才だそうです。だからファンもそれなりの年代なのでしょうね。彼のコンサートに行くのは初めてで、新聞か何かで載っていたのを見て、夫と行こうということになったのです。
 始まってからすぐのトークで「普通コンサートの券は前の方から売れていくのに、私のコンサートは後ろから売れていくんですよね」と、皆頷いて大笑い。67才ですからそれなりに頭も薄くなっているし・・・でも声は若いですねー。

 今回の話で、彼は楽器もまったく弾けず、譜面も読めないそうです。元々銀行員ということは聞いていましたが、ちょっと変わった経歴で、いろいろな歌手に曲(歌詞)を提供しているのでも有名です。
 昨日のコンサートは、自分の曲、他の歌手に提供した曲、そして2部は、歌芝居、そして、新しいCDからの曲など、折り沢山で2時間半以上でした。

 感想としては、九響がバックで豪華な感じの舞台ではありましたが、どうでしょうか、小椋佳の歌の感じからするともっとしっとり、こじんまりしたステージの方が良かったような・・・
 でもやっぱり生のステージはいいですね。暫し音楽に浸りました

行事を終えるごとに・・・

2011-06-21 09:16:57 | Weblog
 一昨日父の49日の法要が終わりました。初めてのことばかりで、人に聞いたり、積善社でもらった説明書を見たりしながら進めています。亡くなった日から数えて49日以内、実は、7月の初めを考えていたのですが、周りから3か月にまたがってはいけないと言われ、少し早かったのですが、一昨日執り行いました。

 まず、お寺が空いているかどうか訪ね、予約を。この日はご法事が多く、一番の10時からになりました。40分ぐらいお経をあげていただいて、その後納骨。父が生前納骨堂を買っていたのでそこに収めました。
 その後、皆さんを食事に。これも案内を出して、人数を把握し、食事の場所を予約したり、お土産の手配など結構大変でした。当日は、雨にも係わらず(しかし天気予報で言われていたような大雨でなくて良かったのですが)東京、広島からも来てくださり、18名にもなりました。こういう機会でなくては会わない、叔父、叔母やいとこたちとも再会できて「こういうことがないとこして一同集まることが少なくなったものねー」と皆一頻り。
 特にうちの子供たちには親戚の多さが珍しいらしく、まただれがだれかほとんど知らないので、関係を説明するいい機会になりました。
 今回親戚の集まりでも、父が生前、いろいろな方と係わっていたこと、まめに連絡したり、会っていたことなどが本当によく分かりました。

 親戚ではないのですが、亡くなる2,3年前から親しく頻繁に旅行や食事などにいっしょに行っていただいていた方には、お葬式の時も最後までいていただきましたし、葬祭場にもまた初七日にも出席いただき、今回の49日にもお招きしました。その方がお寺に来られて一番に言われたのが「今日からごいっしょに旅行に行く約束をしていました。まだ手帳の予定は消していません」でした。
 父もこの方とのことは、「晩年、本当にいい方に出会った」と喜んでよく話していましたので、この方と父の話すると思い出されて悲しみがぶり返してきます。しかし、こんなに気が合い、良くしていただいたに巡り会って、父は幸せだったなーとつくづく思います。しかし本当に悲しみに沈んで「まだ信じられません」と言われると、残されたこのお友達の思いはいかばかりかと思ったりもしています。

 49日をこのように朝早くから1日潰して来てくださり、皆で父のことを語ってくださる、残された者を励ましてくださる、本当にありがたいなーと思うと同時に、私もこれからはそうしなくてはいけないなーと思うこと頻りです。

 通夜、葬儀に始まって、初七日、本当は7日、7日あるのですがこれは祭壇に参るだけで、そして49日まで何とか終わりました。なぜかお通夜の昼に大きな講演をしたり(これは前から頼まれていた仕事で、式典の記念講演だったので、穴をあけることは絶対できないと思い、気持ちを整えしっかり講演してきました)今回の49日の前も、パネルがあったりと、正直、気持ちを整えるのが大変でしたが、生前父は私の仕事を大変応援してくれていましたので、父が守ってくれたと思っています。
 
 これから初盆、1周忌・・・いろいろ大変ですし仏教のことはよく分かりませんが、このような行事は、故人を供養すると同時に、残された者が少しずつ受け止めていく過程には必要なんだなーとつくづく感じているところです

明日、女性の活用について発言します

2011-06-17 15:06:24 | Weblog
 明日、15時から福岡市役所の15F講堂である、福岡市のこれからを考える「アジアのリーダ都市ふくおか!プロジェクト」のキックオフフォーラムで発言をします
 5人のパネラーの中で女性は私だけなので、私は福岡の女性の活用を訴えようと思っています

 簡単にまとめるとこういうことです。福岡の人口はご存じのように増え続け、このたび確か京都を抜いて、政令都市6位になりました。その人口構成比を見ると、女性と若者が多いのが特長です。女性も20代から30代の女性が多く、ですから、次々に若い女性をターゲットとした商業施設は出来るのですが、その女性たちの能力を本当に活用しているかは疑問です

 日本全体がそうですが、先進諸国には珍しく、年齢による女性の就業グラフがきれいにM字型になっているのです。すなわち、30代に就業率ががたっと落ちるということ。福岡市も御多分に漏れずです。勿論女性の人生いろいろな選択肢があっていいのですが、子育てをしている女性に聞くと、働きたいという人がたくさんいるということ、今働いている独身女性も出来たら結婚して、子育ても仕事もしたいという人もたくさんいるのです。
 しかし、今の日本では、福岡もですが、女性が子供を持って働き続けることは大変なことです。育児休業など法律は整ってきましたが、実際に職場では、子供が小さい時病気になったらどうするか、学校の行事にも出たり子育てもしっかりしたい、など考えると、仕事・子育てをほとんど一人で担っている女性は子供を産むことを躊躇したり、子供を産んだら仕事をやめてしまうのです

 今はいいかもしれません。しかし25年後(実は今回のフォーラム、これから25年後の福岡を考えての議論なのです)人口は減り、若者の数、労働力率も下がってきます。この時に、高齢者をかかえた福岡をだれが支えていくのでしょうか。

 皆で社会を支えていくということを考えると、社会全体で、出来るだけ働き、子供も産む、子育てもするという考え方をしないともたないと思います。
 そのためにも家庭では、夫も特に子供が小さい時は子育てをする、また福岡市としては、待機児童をなくし社会整備をする、企業は、ワークライフバランスの提唱、夫をもっと家庭に帰す、というようなことをしていかなくてはいけないと思います。

 当日、他にもぎんぎら太陽の大塚ムネト氏やふくやの川原社長などそれぞれのお立場で発言されます。今回コーディネーターの方のお考えで、きちっとしたパネルではなく、やり取りができるパネルにしたいと言われているので、さてどうなりますやら・・・
 明後日お時間がある方は、是非、聞きにいらしてください。ごいっしょに考えましょう、これからの福岡を

自分が経験して初めてわかること・・・

2011-06-15 11:29:36 | Weblog
 先週5月17日火曜、父が亡くなりました。昨日も父から紹介された歯医者さんに定期健診に行った時、父が10年も通っていたこと、亡くなる前日も来ていたそうで、先生はどうしても信じられないとおっしゃっていました。

 実は、先月25日に、今回の経験や思ったことを書こうとここまで書いて、どうしても筆が進みませんでした。それから仕事の合間をぬって葬儀に来ていただい方へのご挨拶や49日の準備など、本当にあわただしく1か月になろうとして、やっと書けそうなので書いています。

 89才でしたので、大往生といえるのでしょうが、何しろ本人も周りも、冗談ながら「きっと100才まで生きるねー」と言っていたぐらい、元気で、好奇心旺盛で、人と話すのが好きで、毎日仕事に行っていましたので、17日午後4時頃、妹から携帯に、父が倒れて救急車で運ばれたと知らせを受けた時は、本当にびっくりしました。しかし、きっとちょっとしたことで、すぐに元気になると思って病院に駆け付けたのですが、1時間ほどで亡くなったのです。こんなことがあるのでしょうか・・・

 大分気持ちは落ち着きましたが、祭壇の写真を見たり、歩いていた姿などを思い浮かべるとまだ涙が出てきます。

 今回のことで、頭で分かっていることと、やはり経験しないと本当のことは分からない、ということが良く分かりました。
 一言で言うと、私はこれまでいかに人の死ということが分かっていなかったか・・・だれでも亡くなるし、特に親は普通自分より先に亡くなると分かっているのですが、元気でいつも会っていると全然覚悟ができていない・・・

 周りの方々はもっとびっくりされていました。葬儀でもその後ご挨拶に行っても、「1週間前に会いました」「2日後にお約束していました」「あんなにお元気だったのに」と私たちもそうですが、まず悲しいという前に、本当のことなのだろうか、という気持ちがして・・・

 しかし今から思うと、5月の連休に九重・湯布院にいっしょに旅行していたし、2日前にはいっしょに食事をしていたし、亡くなった当日の午前中も電話で30分近く相談にのっていたし・・・などなど、忙しい時は1か月話していない時もあったことを思うと、悔いはないかなーと思ったりしています。

 通夜、葬儀にはたくさんの方々に来ていただいてびっくりしました。亡くなった夕方から夜が一番大変だった気がします。夜10時頃までかかって、通夜、葬儀をいつするか、どこで、どのくらいの大きさの会場でするか、ほとんどこの日に決めなくてはいけません。よく言われることですが、悲しんでいる暇はない・・・
 兎に角、お寺のこと、戒名のこと、式の進行のこと、すべて初めての経験ですので。プロとはいえ、積善社の方はよくしてくれました。多少行き違いがあったりということはありましたが、一から十まできめ細かいことまで教えてもらい、進行してもらい、何とか無事に通夜、葬儀をすますことができました。

 私は今これまでの自分を大いに反省しています。これまでもたくさん訃報を受けましたし、たくさんのお葬式にも行きましたが、特に親戚関係では、遠いこともあって、心無い対応をしていたなーと思います。
 今回、父の関係、仕事の関係、そして私の関係の方々もたくさん来ていただきました。私は皆さん忙しいので、自分からは知らせないと決めていたのですが、会合の欠席を知らせなくてはいけない関係で話したのと、ある会の人に知れ、その人が周りに知らせてくれたのとで、父のことは知らない方も、私に対してたくさん来ていただきました。
 そーか、「これまでのあなたとの係わりで、お父さんが亡くなって大変でしたね」という気持ちで来てくださったんだなー。私はこれまでそのような気持ちが薄かったような気がします。あの方にはお世話になっているけれど、お父様は知らないし、ちょっと仕事で行けないなーと思って失礼したことなどを思い出します。

 勿論形式的な方もいらっしゃるでしょうが、忙しい中を駆けつけてくださった方のお顔はしっかり覚えています。正直嬉しかったです。こういうことが経験して初めて分かるのですね。

 あーまだ晩年の少し年取ってきた感じの話し方やよく言っていたことなどを思い出すと鼻がつんとしてきます。
 来週日曜は49日、夏は初盆になります。このような行事を進めていきながら、心落ち着いてくるのでしょうね