私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―備中宮内

2012-05-14 18:29:46 | Weblog
 「どうして新之助をあなたが知っているの」
 怪しむように、じろりと見下すような眼差をして、その憎々しさを、まだ、一杯に顔に表しながら、須香さまは、小雪の方にいざり寄って近づいて来られるのでした。
 小雪のどう対処したらいいか分らないような困惑の色をお感じになったのかもしれません、横から、林さまが
 「須香さん。まあ一杯どうですね」
 と、ご自分の猪口を差し出されました。須香さんと呼ばれたそのお人は、ややあわてるように
 「まあ、とんでもありません。私がお酌しなくてはならないのに、失礼しました」
 と、冷え切っている徳利を両の手で、暖めるかでもしているようによっくりと捧げながら、林さまにお酌して差し上げられました。
 「なあ、お須香さん。随分とご心配かけたね。・・・・あなたのご心配分らぬでもないが、どうしても、今日は、この小雪を奥様の前に引き出さねばならないわけがあってね。ごめんよな。まあ聞いてくれ」
 そして、林さまは、須賀さんが注いでくれた盃をゆっくりとお口になさいます。
 「そうです。文月25日の夜です。京で高雅さまと、此度の琵琶湖疎水工事ご融資について細かな打ち合わせをしておりました。お側には新之助さんもお出ででした。何時もの例ですが、小雪も、勿論、私が呼んでおりました。しばらくして、別に特別なお話があったわけでもまく、新之助さんたちがいてもいなくても別に構わなかったのですが、高雅さまはどんな了見か知らないのですが、とにかく、この若い二人を、我々の話から故意に遠ざけられておしまいになられました。高雅さんの特別な計らいであったのかもしれませんが、ははは・・でも、今となってはそれを確かめることなどできませんがな」
 さも残念そうな林さまの口ぶりです。
 でも、小雪は知っていました。高雅様の特別な計らいなんてあの場にあった筈がありません。ただ、その頃、新之助さまが、高雅さまの日夜に渡る警護の為に少々お疲れになっている様子で、それを慮っての計らいだったと思っていたのです。それが特別な計らいであったと言われるとそうですが、そんなあの晩のことが、小雪には今更のように甦ってくるのでした。
 「また、今夜も新之助様とお二人だけでお話できる。」
 何となく楽しさがこみあげてくるようでした。男と女の色恋いではない、遠い異国の小雪の知らない世界の事が聞けるのです。それも金銭抜きの若い男性と対で聞けるのです。でも、小雪の心の隅には、もしかしたらと、云うひそかなあまり期待もしてない、自分に置かれている身に対する、それでも小さな小さな誰にも言えない少女みたいな初な喜びみたいな物があったのも確かなことです。
 そんな二人を遠ざけると、高雅様は、琵琶湖から京まで、水運を利用した流通経路を確保するとそれまでにはなかった経済効果が京にもたらされ、天子様の間接的なお支えになるのだと力強くお話になられます。是非実現に向けて力を注ぎたいと、従来にも増して、その夜は熱っぽく具体的な計画まで細々とお話になられていました。その為の金策に、今、大変苦労しているのだが、此の度ようやく幕府からの援助も、山田様を通して、どうにか目鼻がついたと喜んでおられました。「これからが本当の伸るか反るかの大勝負になるのだ。宜しく頼む」と、おっしゃられました。今後の測量など未経験なことばかりで苦労がまだまだ続くだろうと苦笑いされながらお話になられました。その後、別室の若い二人をお呼びになりました。『今晩はここにお泊りになって、明朝お帰りになっては』と言ったのですが、『山田が心配するから』とか何とか言われて、夜も大分更けた京の町に、新之助さんをお連れになってお帰りになりました。『小雪も、では、そこら辺りまで送ってもらいなさい』と、河内屋の玄関から3人を送り出して、ほんのいくばくもたってないと思いました。私の部屋に入ろうとした時、表のほうから、「ぎゃ」という声とともになにやらけたたましげな騒動の気配が耳に入ってきました。とっさにある種の胸騒ぎが私を覆い包みました。『天誅』とか何とかという甲高い天を突くような声も闇を通して辺りに響いていました。話には聴いたことがあったのですが、生まれて始めて聞く声です。一瞬、『何事もなければ』と胸騒ぎを覚えました。
 どのくらい時間が経ったでしょうか。ほんのわずかな時間だったと思われますが、何か、ばたばたと大勢の人達が河内屋の前の往来を足早に立ち去る音を耳にします。それっきり又静寂の京の夜に戻ります。その時です。私の泊まっている部屋の庭に面した戸の外から。
 『だんなさん、林さま』と、薄気味悪い声が聞こえてきました。
 一瞬ぎょっとしましたが、その声のする戸を、こわごわと、わずかばかり開けました。
 『あっしは、万五郎でごぜえます。お話する時間はございません。あのお二人はもう助からないと思います。このお女中は命には別状ございません、でも、お命を賊に狙われているようです。ここにおいて置くと危のうございます。どういたしましょう』
 状況は、とっさに判断できました。今は、せめて小雪だけでも助けてやらねばと思い、万五郎親分に
 『京に置いてはおけまい、今すぐにでも、お前の宮内へでも隠してくれないか』と頼んで見ます。
 『人の命に関わっていることです。どうにか致しましょう。なんとかなるでしょう』
 と、親分。
 それからどうなったのかは分りませんが、後々の風の便りでは、小雪はどうにか無事で、備中の宮内に生きているということを耳にして、少々安堵していたのです。
 

小雪物語―吉備の夕焼け

2012-05-12 14:06:16 | Weblog
 西の空に一杯に広がった真っ赤な夕焼けの空を、林さまは以前から眺めておられたのでしょうか、静かにお話になられました。
 「小雪、お前さんも、新之介さんあたりから聞いた事があると思うのだが、あれがよくお話になられていた高雅さまのお山の夕焼けなのだ。吉備の夕焼けなのだよ。何時見ても大きいね。人を超えた美しさだ。偽りのない本当の美しさなのだ。・・・・ あの真っ赤な色は、人の心を過ぎ去った時に誘なうに余りあるよ」
 また沈黙がしばらく続き、お須香さままでもみんな山の端に沈み行く太陽をさも名残惜しそうに眺めていました。
 「まあ、これが吉備の里の夕焼けどすか。此処へ来て一年近くなるなるのどすが、初めて見ました。大きな大きなお腹どすこと。新之助さまは、あんなに膨らんだおひいさんは、一日じゅう、お空の真上から、この地上においでのお人たちの仰山の悪い事を全部飲み込んでしまわれ、それであんなに膨らんだお姿にななれたと、何時だったか聞かせてくれはりました。かわいそうなのおひさんだと、お笑いになりはりながら、おはなしくれはりました」
 その時、お須賀さまは、きっと小雪のほうへ向いて、まだ何か云い足りないいやみ事でもあるかの如くに、何か言いたさそうな素振でしたが、林さまが続けて
 「小雪、あの日も高雅さまが言われていた『お山の夜の七化け』がこれから始まるのだ。あのお山が日差のお山です。そうですね、ご新造さま」
 「そうですとも、作之丞は小さい時分から、ここからあのお山に落ちる夕陽がね。特に、秋の夕陽が好きだとよく申しておりました。・・・・・・・
 そうそう、何時だったか定かな記憶はないのですが、こんな歌を詠んだこともありました。
          夕日影 なごり消ゆく 雲のはに
                     色さへ見えて 秋風ぞふく
 それにしても、わたしも、久しぶりにお山の夕陽を眺めさせていただきました。小雪さんではないのですが、ひとりごとが突然口を衝いて出てくるぐらい、本当にきれいですこと。なんだかんだの浮世の事にかまけて、身の回りにある沢山のきれいな事や美しいことを忘れてしまっていました。そう言えば、高雅、いや作之丞がまだ十歳にもなてなかった頃だと思いますが、あの日差のお山に落ちるに従ってだんだんとその大きさを膨らませて行くお日様を見て、足守の父あたりからではないかと思いますが、誰に聞いたのかも知りませんが、何か、一杯、一日中、お日様が食べたからか大きくなってたのだと、しきりに話していたのを、今、思い出しました」
 ややおいて、また、林さまが話を続けられました。それは、まだ小雪の方を穴が開くのではないかと思われるほどじっと食い入るように見つめているお須賀さんに対して云っているようでもありました。
 「小雪、よく見ておきなさい。これから段々と時が進むに連れて、こちらのお山もあちらのお山も色々と化けていくのです。金色から赤、黄、緑、青、紫、と七化けしていきます。これが高雅さまご自慢の吉備のお山の夜の七化だぞ。・・・・・・ははー、新之介さんの高雅さまの口癖の受け売りだな。・・・お喜智様が、先程、申されたように人の目には誰でも全く寸分の違いも無く同じに見えるのだ。老いも若きも、男であろうと女であろうとな。身分の偉い人だけ特別に美しゅう見えるのと違うのじゃ。それとおんなじで。差別なんてものは昔から神様は作ってはいなかったはずなのだ。それがあの福沢さまが申された「人の下に人を作らず」なのじゃ。みんな同じなのだ。人が汚いとか綺麗とかという思いは、人のもつ偏見が作るものなのだ。なー、お須香さん」
 その「なー、お須香さん」と、林様が言われた時でした。突如として、お須香さまが、私のほうにややいざりながら、今までの言葉ざまとは幾分違ったように私に話し掛けておいででした。
 「小雪さんとか、・・・今なんと言われました。私には、確か、新之介と言ったように聞こえたのですが、そうですか。」
 ややしばらく置いて、また、
 「まさかあの鷺森新之介のことではないでしょうね」
 じっと私を見据えて話しかけてこられました。
 「はい、新之介さまは、確か鷺森とかおしゃられていらはりました」

小雪物語―涙の中の夕焼け

2012-05-11 20:13:47 | Weblog
 小雪の泪は、次から次へと止めどななく溢れ落ちてきます。喜智さまのお声もその泪と一緒に、何か遠くに浮かんだ綿雲のようにふわりふわりと霞んでいくようにも思われました。自分が自分であることすら忘れてしまったかのような夢の中を彷徨っているようでもありました。
 しばらく間が開きました。
 ふと、小雪は、小さく折り重なった自分の紫の小紋の羽織の袖の上に溜まっていたいくつかの小さな泪の露が薄ぼんやりとした赤色に染まってきらきらと動き回りながら輝いているのに気が付きます。
 「おやなにかしら」
 目頭をそっと上げて、松と桜のお庭に眼をやります。すると、お庭の木々の向こうに、大きく大きくあらん限りに自分自身を膨らませた夕陽が、自分の金の色を辺り一杯に輝かせながらお山の向こうに入って行こうとしています。その真っ赤に染まった夕焼けの光りが、庭の木々の間越しに、膝の上に出来た自分の泪に入り込んで、赤く染まっているのでした。
 「まあ、夕焼けが。夕陽ってこんなにきれいどすやろか。それも自分の流した泪の中に」
 小雪は、心の中で思うのでした。かって自分の流した泪の中に映る景色なんて見たこともないし想像したこともありません。それが、今、忽然と小雪の目の中に幻のように現われてきたのです。そっと顔を上げて、泪を染めた真っ赤な夕日にめをやります。すると、そこには喜智さまのお姿が、山の端に沈み掛けた黄金の太陽の中に、真っ黒なシルエットとなって浮かび立っています。その黒の中に垂れ下がる御髪だけがその一本一本、一筋の光りなって輝いているのです。いつか京で、見た仏様か何かが体の輪郭だけを金色に輝かせて四方に広がる光の中で、なんともいえないまろやかな笑顔を浮かべて立ってたっていらっしゃるのを思い出していました。
 「まあきれいどす。新之介様の夕焼けかしら」
 そんな小雪の小さな驚きの心が言葉となって、自然と口から漏れ出てきました。
 その言葉があまりにも突飛なものでしたので、喜智さまも、依然としてその怒りを顔に残したままのお須香さままでも、何事かと辺りを見回すのでした。

小雪物語ー小雪の涙

2012-05-09 18:30:14 | Weblog
   でも、そんな小雪の心を知ってか知らでか、喜智さまはその女の人に、一語一語噛締め確かめるように語り掛けられました。
 「お須香さん。今なんとお言いでしたか。」
 そのお声はどこまでも物静かで、どこか悲しさを懸命にかみ殺しているような、また、こみ上げてくる怒りをぐっと胸奥に押えているようなお声でお話になられます。
 「ここは、今、あなたがおっしゃったように我家の堀家の奥座敷です。なにも特別なところではありません。誰が入ったとしても別に穢れたり傷ついたりするものではありません。昨日のままのお部屋に変わりありません。部屋は部屋です。人が入って暮らすところなのです。ただの物なのです。穢れるとは何ですか。泥でも付いて汚れますか」
 大きく一息いれて、また、ゆっくりと言葉強く、きっぱりと言われました。
 「部屋に、どんな人がいようと、部屋は部屋です。何も以前とはちっとも変わりません。人の思いがこもるところではないのです。お須香さん、今、この小雪さんに向かって汚らわしいとお言いでしたね。汚らわしいとは何です。その穢れているお部屋に座っている私も林様も汚らわしいのですか。部屋が穢れるのであれば当然人も穢れるはずです。人は人です。部屋と同じで穢れたりはしません」
 小雪も、この奥様は一体なにを言い出されるのかと不思議な思いで聴いていました。そのお女の人も、私と同じように奥様は何を言われるのかと不思議そうにお聞きになっていらっしゃいました。ただ、林さまは、奥様のお言葉がお分かりになるのか、いままでの堅苦しさが抜けたように、にこやかに静かにお耳を傾けられていられるようでした。
 「お須香さん、お前さんも知っての通り、もうおとどしになるかしら、残暑の厳しい長月に入ったばかりの頃だとと思いますが、洪庵の適塾の福沢さんというお人がお国の豊前中津へお帰りの途中とかで、おみえになり、家中、お須香さんも入れて、豊子さんも幼い作之丞まで皆でお話を伺ったことがありましたね」
 ちょっと庭のほうを見られながら、又、
 「その時、福沢さんは言われました。お須香さんは覚えているかしら。侍、百姓、町人それぞれ、身分は違っていても、人としてはみんな誰も同じだ。『泣くし、笑うし、しゃべるじゃないか。天は人の下に人を作らず』と。そんな世の中を目指して、適塾の人達は学んでいるのだと」
 じっと移ろうような目をしながら説き聞かせるようにおっしゃられるのでした。
 「けがらわしいとはなんです。どうして汚らわしいのですか。所詮、此の世に生きているものは多かれ少なかれ、どんな人でも、みんな、人には話せないような弱みや汚さや醜さを持って生きているのです。偽りの渦巻いている汚い世の中なのです。この小雪さんは薄汚れていますか。何処が穢れていますか。あなたが言う見ず転芸者ゆえに穢れているのですか。いつか、土砂降りの雨の日に、城の内で、お須香さんは下駄の鼻緒をすげてもらったというではありませんか。優しい心のきれいな人でなかったら出来るものではありません。まして、今日は、林さんのお客様でもあるのです。お須香さんが言うように決して穢れているのではありません。人は人です。きれいも汚いもありせん。穢いとは人の心が、そう決め付けているだけです。ひとのこころはだれでも、福沢さまが言われたように皆同じなのです」
 小雪は、自然なつくろいも何もない、さりげない、このお須香さんだけに言うのではなく、誰に言うともなく、むしろ自分自身に言い聞かせるように語り掛けるように言われる、この喜智さまの言葉が、何かありがたいお経でも聞いているかのように覚え、今までに降りかかった数々の自分への飛語と相まって、無償に悲しさが広がり、涙がこらえようとしてもこらえられず後から後から頬を伝って膝に流れ落ちるのでした。汚らしい汚れた自分自身だ、と、自分でも観念したように諦めて、そのどうしようもない『穢れている』という言葉を自分自身に言い聞かせ言い聞かせしながら生きてきた今までの自分の辛さが涙となっで、次から次へと零れでてくるのでした。


小雪物語ー片島屋の万五郎さん

2012-05-08 10:08:59 | Weblog
「丁度、あの痛ましい事件が起きる前日だったと思いますが、浪速から京に上る船の中ございました。奥様も御存じの、ここの熊次郎さんの所の片島屋の万五郎さんに、本当に偶然だったのですが、ばったりと出会ったのでございます。万五郎さんも、驚いているようでしたが、何か熊次郎親分の大切なお役目があるとかで、遠く相馬辺りまで足を運んでいるとお話になられます。船の中ですので、あまり詳しいことも聞けませんでしたが、何か差し迫ったことがこの親分さんのところでも起っているらしく、この所、日々旅の連続で、今晩は京でお話をつけて、明日には、また、江戸へ行かなくてはならず、この宮内へは当分帰れそうもないと淋しげに、目を船床へやりながら薄笑いを浮かべながらお話されていました。まあ、そんなにお忙しい親分にですが、今、高雅さまは京に居て、大変な危険を押して、このお国のための大きな事業をやり遂げようとしているのだ、という事を話して、もし、どこかでお会いするような機会でもあったら、なにくれとなく世話してくださいと、お頼みもしました。」
 それだけを早口に一気に言われ、それから大きく息をされて、冷めてしまったお酒の入っている備前の猪口をゆっくりとご自分のお口に、いやいやながらのように持って行かれました。
 「あの日も、何時もの通り、高雅さまは新之介さまをお供に連れてお出ででした。私とこの小雪と4人でお会いするのは、その日が、確か3回目ぐらいだったと思いますが。まあ、私はこの小雪に何時も京にいるときは身の回りの世話を頼んでいます。この娘の死んだ母親から続いてですがね。ははは・・」
 「まあ新之介と・・」と、喜智さまが驚かれた様子で何かおっしゃられようとした時です。廊下を、大急ぎでこちらへ突き来るような気配がしたと思った途端、障子がさっと開き、少々あわてた様子で、お喜智さまみたいに背筋のちゃんと整ったお年を召されたきりりとお顔の引き締まった、いかにも気の強そうなご婦人の方がお入りになり、いざよりながら喜智さまの前にお進みになられました。それから、そのお人は、林さまの前にいる小雪をじろりと、なにかいやらしい小薄れた汚らしいものでも見るように一瞥されながら、喜智さまに向かって、甲高くやや声をひきつらしながら、言います。
 「まあ、奥様、ここを何処だとお心得でしょうか。ここは堀家の奥の間です。お屋敷で一番大切なお座敷です。そこへ、こんなけがらわしい見ず転のはしため女を、どんな了見です。」
 この「す」という言葉が、あまりの大きくて突飛で、部屋中に跳びはねているようで、小雪には、瞬間に、またまた、自分はとんでもない遠く離れた異世界にでも来ているのではないかと思えるのでした。
 しばらく、その女の人を黙って静かに見つめていらした喜智さまが、ゆっくりとその人に向かって、襟に手をおやりになり、何か愛しむように顔をむけられました。そんな二人の様子を見ておりますと、又しても自分とは無関係な、時も場所も、すべてどこか違う処で起きているように小雪には思われるのでした。そして、いくら招かれたにせよ、宿のお粂さんの、性急な追い出しによって、無分別にも飛び出すように此処へ来てしまった今の自分が、いやでなりません。
 「ここにこなかった方がよかった」
 と、もう何度目かのそんな思いが小雪の胸を横切ります。

小雪物語ー葉田の黍餅

2012-05-06 17:01:25 | Weblog
 
 「此の緒子もそうだ。これもやはり備前の猪口だ。絵も色も何もねえ、窯の中で、ただ土を焼いただけで、人間の心を嘲笑うかの如くに、人の心を超越した神の成し給うた美がこの中にはあるのだ。わしも此の備前が好きでのう。これで飲むとあまり飲めないわしまでもが、つい杯を重ねることがあるのじゃ。ふしぎなのじゃがなあ」
 暫らく、手にされたそのお猪口をくるり、くるりと手の中でこめ回されながら、また床の間のの掛け物に目をおやりになりながら、
 「まだ拝見した事はないのだが、大奥様も、また若奥様もよくお歌をお詠みだそうだ。どうだ、小雪も歌ぐらい習ったらどうだ。奥様にでも教えてもらってはいかがかな。あははは・・・・」
 久しぶりに聞く林さま本来の声です。その「あははは・・」という声と一緒に、再び喜智さまがなにやらお持ちになって、急に座を整えた小雪の前にお出でなさいました。
 「小雪さんには失礼しました。折角のお客様にお茶も差し上げないとは、私も随分と年を取って物忘れがひどうなったものだこと。・・・さあどうぞ召し上がってくださいね。これはね、足守から届いた葉田の黍餅です。私が好きなものですから、足守にいる弟が時々寄こしてくるのです。お茶碗は、あなたが京生まれだと聞いたものですから、備前というわけにもいかないでしょう。京焼の茶碗にしておきました。どうぞ、お口をお付けくださいな」
 そんな細かなお心配りのお優しい言葉には、小雪にとっては、もうとっくの昔に何処かへおいてきてしまったかのような柔らかな心地よい響きがありました。
 でも、一方その言葉は、また、今自分は桁違いのお場所に身を置いているのではないかという自分自身を苛ます小雪の気持ちに押し戻すのでした。
 「では・・」
と、喜智さまがお座りになられると、そんな小雪を気にしていたのではないでしょうが、林様は、再び、お話をお始めになられのでした。
 「以前から、老中の板倉様などの江戸幕府の奸吏に与しながら、また、一方では、尊王攘夷を振りかざし、その者達と二股を懸け、富家へ立ち入り大金を貪る大奸物である、天誅を加えねばと、佐幕の人からも攘夷の人からも付狙われておいでのようでした。それを随分とご心配になっておられた、緒方さまのたってのお願いで、今後のことについてご相談にと、あの夜、京での所用もございましての、ついでといっては何ですが、高雅さまとお会したのでございます」
 そこで、林さまは、お手持ちの備前の杯に僅かに残っていた冷めきってお酒をぐいとお飲みになられました、
 「おや、お酒が。 暖めましょう」
と、喜智さま。
「や、もう、私にはこれで結構でございます。今日は少しばかり飲ませていただきました。この辺にしておかなくては、酔っ払って後のお話が続きません。・・・・・では、次を始めます。おう、そうそう。 大暗礁も大暗礁だが、さしあたり、洪庵先生のご心痛にも心なされてか、備中藩の方谷さまはご自分の子飼のお人で、備中下道の下倉に住む樋口多平とか申す若者をお遣わしになられたそうです。この人と一緒に、とりあえず琵琶湖から京へ通ずる水の道、運河とか言うそうですが。この建設へとお思いになられたようでした。その樋口とか申す若者は松山藩きっての測量の技量を持っているとかで、これから、その測量に入ろうとされた矢先に起った騒動でした。この計画が完成した暁には、富が京へ集中し、天皇家の磐石に期すという思いからだと、滔々とご自分の計画を自信ありげに堂々とお述べられていたのです」
これも後から知ったのですが、宮内辺りの巷に流れた噂では、林さまも何千両という金額の御援助を高雅様になされたと云うことでした。しかし、この時、どれだけのお金の援助をご自分がしたなんて金銭的なことは一切お触れにはなられませんでした。

 
 


小雪物語ーはるのひかりは

2012-05-05 13:12:00 | Weblog
  「私が、最初、浪速で高雅様にお目にかかったのは、洪庵先生のお宅だったと思います。先生のお宅に、作州の宇田川榕菴先生がお見えになっていらっしゃるとお聞きしたものですからお尋ねしたところ、偶然にも、そこで高雅さまにお会いしました。高雅さまとは、高尚先生のところに2、3回お尋ねしていて以来、旧知の間柄でした。その場で、今回の高雅さまの途方もないと思えるような高遠なご計画を拝聴させていただきました。また、方谷先生をお通しして、直接備中松山藩主板倉様のお口聞きで、徳川様の幕府からも相当のご援助も受けられる手筈になっているとも受け賜りました。それは、紀淡海峡に大暗礁を築造して夷船を防ごうという計画でした。その計画は逐一ご子息様紀一郎さまにはお伝えしてあるようにお伺いしていますので、既に、大奥様にはご存知だと思いますので省きますが、でも、この計画について、高雅さまは、あの方谷先生から、『ある時「富潤屋」と墨書された大高檀紙をもらってな』と、あはは・・・とお笑いになっていらっしゃいましたのが印象深くこの頭に今でも残っています。・・・・・・・老中であらせられる板倉様も、また幕府でも、その後の次から次へと起る国政の難題に、この計画にいたく感心をお示しになっていらっしゃたにもかかわらず頓挫しなくてはならない羽目に陥ってしまったようでした」
 一気に胸にある思いをお出しになったのでしょうか、
 「小雪、もう一献勺してくれ」
 と、これも珍しく林さまは、ご自分からご催促されました。お酌にと、御席に近づいた時、喜智さまも「あ、そうだ・・ちょうっと」とか、小声でおっしゃって、誠に品のいい御立ち様でお立ちになられ部屋から風のようにお姿を消されるように出て行かれてしまいました。
 お酌する小雪を見ながら、林さまがおっしゃられます。
 「この床にかけてあるこの軸が分るか」
 このときになって始めて部屋の中の様子も、小雪の目に映るようになっていました。
 床には、和歌かなにか、どう書かれているのかは定かではないのですが、女手の字で書かれたような軸がお掛けしてありました。
 「これはな、お喜智様の旦那様の輔政さまが、庭に咲くつばきを見て、御詠みになったお歌だ。字も輔政さまの手だ。
 
  つきせじな 花はおつとも 玉つばき その葉にもてる はるのひかりは 

 と詠むのだそうだ。此処からちょっと見えるお庭にある松の側の椿をお詠みだったようです。尽きせない春の光をどのように見ておられたのだろうか。今日の光と同じだろうかな。それにしても、備前はつばきによく合うなあ。この軸ともよくつりあっているではないか。見事なものだ」

 お酌したお酒を、ごくりと喉越しの音を立てながら、林さまは、さもうまそうに一気に飲み干されました。

小雪物語ー後れ髪を揺らす恵風

2012-05-04 18:58:58 | Weblog
 「これから申し上げる事は、私にとっては、できる事なら知らぬ存ぜぬで押し通してしまうのがどれほど楽であるか知れません。でも、それでは、高雅さま、いや高雅さまだけではりません、喜智さまの弟君であらせられる洪庵先生に対しても、また、松山藩のお殿様や方谷先生に対しても申し開きが立ちません」
 林様のお言葉の中には、高雅さまを自分が恰も殺してしまったかのような悲痛な響きか見えました。今まで何時もお聞きしていたあの快活な、やや早口におしゃべりになられる、人をひきつけてやまない明るさはどこかへ消え去ってしまい見えず、悔恨の思いだけが体を覆い尽くしているような、一言一言をかみ締めるようにゆっくりと話しになるのでした。
 「洪庵先生も、高雅さまの身を痛くご案じになっていられたということをお聞きしています」
 「騂之助と光次郎とはあまり歳の違いもなく兄弟のようなものでしたから、よけいに心配しとったんじゃろう」
 喜智さまはご自分の膝に置かれた両の手をじっと見つめながら、やっぱり静かに自分自身に言い聞かせるかのように口をお開きになりました。
 「あっ、失礼しました。騂之助は洪庵さんの幼名です。光次郎は高雅のです」
 それからしばらく沈黙が続きます。
 「[此四五日前より浦賀へ又々異国船相見え候由]云々という洪庵先生からの手紙を頂き、高雅さまは、天子様を中心として国防の必要をお考えになり、益々、尊王攘夷の考えを深められていったようです。そして、今までにじっとお胸に暖められていた、紀淡海峡に海防策として暗礁築造を思いつかれてたようでした」
 今まで、じっとその両の手を見つめていらっしゃた喜智さまは、林さまのお顔のほうにお向きになり、
 「なんて・・・」と、喉の奥から搾り出されるような悲痛な喜智様のお声が、しんーとしたお部屋に流れました。それは、また、小雪には、子を思う母親の慈悲深い涙声であるかのようにも聞こえました。
 小雪は顔を伏せたまま、しばらく、畳の目を身動き一つしないで、じっと見つめていました。
 又々言葉が途絶えました。
 ややあって、また、林さまのお声が届いてきました。
 「ご存知のように、そのような国難を耳にしてからしばらく後の事だと伺っていますが、高雅さまはご長男の紀一郎様に吉備津神社社家頭の職をお譲りになり、尊王攘夷の情押さえ難く、広く天下の志士と交わり、大いに国事に奔走すべく、意を決されて京に上られたのでした」
 林さまは、一語一語、恰も、その意味をご自分でも確かめるように、ゆっくりゆっくりお話しにおなりになっていました。
 知っている事を、いや、真実を語るということがこれほど悲しい難しいものかと言う事を、己に言い聞かせているかのようなお話しぶりでございました。
 
 

庭の萌葱がかった木々の間を通りぬけて、心地よい恵風が、生まれたての若葉の匂いを含んでそよろと小雪の後れ髪をなでるようにして揺らしておりました。

小雪物語―高雅様の御母上

2012-05-01 18:26:01 | Weblog

 「喜智さまから、京より小雪という人がこの宮内に来ているということをお聞きして、もしやお前ではないかと思い、たってお頼みして、ここへ呼んでもらったのだ。それに、失礼にも、なんと、お前はこの喜智さまと、いつか小路で突きあったとか」
 小雪は「あの時の事を奥様はまだ覚えていてくださていたのかしら。でもどうしてわたしを」と、顔を赤らめながら林様をじっと見つめました。
 
 それからお話になる林様の次々の言葉に、小雪は、大奥様のお座りになさた両の膝に見えるなんともいえない品のよさに見入りながら、どこぞ遠い見知らぬ国の出来事であって欲しいような思いに駆られながら、消え入りそうに林様のお話しを聞いておりました。
 文月二十五日、そこまでお送りしてと、林様からいわれて、暖簾をぐぐって、ほんの半町でも歩んだでしょうか、その途端、大きく枝を垂下げていた川端柳の影に身を潜めていた暴漢に「天誅」とか何か言われながらむざむざと殺されておしまいになったあの高雅様の母上様が、この喜智様であろうとは。
 「あの時の高雅さまの最期を見届けた私ですから、もっと早くご報告と思いながら、わたしの都合で、あれから江戸と大阪を行き来していたものですから、遅くなってしまいました」
 そこで、林様は猪口にあるお酒を、ほんの少し口におつけられて、再び話されるのでした。
 「紀一郎様には、手紙ではあらましはご報告させていただきましたが」
 そんな林様のお話をお喜智様は、じっと、口を真一文字にきりりと結んだまま本当に無表情でお聞きになっていらっしゃいました。
 この宮内という狭い狭い世間では、お喜智様のことを「母親としてのわが子への情をお忘れになった非情なお人だ。冷たい、人でなしの母親だ」と揶揄しています。
 無残に暗殺された高雅様の亡骸を、実の母親で、ありながら、頑としてかたくなに京に置きっぱなしにして、この宮内に引き取ろうとしない冷たい女だとしてみんなから非難されているのです。
 そんな非難を知ってか知らでか、林様はあの時のことを静かにお話しになられるのでした。
 そんなお喜智様のお心を慮って、小雪は、これが遠い国でのお伽噺であって欲しいと思ったのです。