私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ー心広くして体胖なり

2012-05-22 20:20:25 | Weblog
 「高雅さまは本当に何もかも一途なお人でした。この人だけは、瘠我慢をするということは、これまで一度もなかったようなご一生のように、人様からは見られていたようですが、どうでしたでしょうかね。やっぱりあちらこちらと多くのお人とやり取りされていると、どうしても自分だけで勝手に生きているわけにはいかず、じっと瘠我慢をして居る場面が、近頃は、特に、多くなっていたのではと思います・・・」
 と、膝にある備前のお茶碗をゆっくりとご自分の手の中でかき回されながら、
 「あの晩のことです。ご自分の遠大なご計画か何かは知らないのですが、何時もの高雅様とは随分と違う、随所に心せわしくお立ち振舞いなされたいたようにお見受けいたしました。琵琶湖の水運事業のご計画も、あまりはかばかしく進んでないようでした、資金面でのご苦労が大変なようにお見受けしました。失礼とは思いましたが、以前お聞きした、『富は屋を潤す』という方谷さまの言葉を拝借いたしまして『心広くして体胖なり』と独り言のように言ってみました。でも、それにはお答えされずに、高雅様は合いも変わらず無口のまま、お酒をさもうまそうにお呑みなっていらっしゃいました。・・・・
少々間が空いて、『ここにおります小雪の京舞でも見て、お心を和ませてください』と、お頼み申し上げました。高雅さまは、にこりとされて、ただ『見せていただきます』とおっしゃられて、前にあったお酒を大口に一気に飲み干されました。俄に遽しく歌舞の用意を設えたお座敷に音曲の姐さんも呼ばれ、小雪の「羽衣」という京の舞を見ていただきました。「小雪の舞は、母親譲りの名手だ、京一だと、私は勝手に思っております」と、そんなとりとめない話をしているうちに、小雪の用意も整い、三味の音とともに、この小雪の「羽衣」が始まります。・・・・高雅様は、それはそれは一心にじっと身動き一ツせず、小雪の舞いを眺めておられました。わたしは、いつも、この小雪の舞いを見ておりますと、その体の重さが、あたかも、突然に何処ともなく散り去って、あるかないかのような、軽くてしなやかな体の動きに見とれるのです。・・・天女の舞の如くに、あちららかと思えばこちらへと、己の意識外の世界に引き込まれたような感覚に陥らせてくれます。あの花から花へと飛び回る今の時節の胡蝶にも似て、大宇宙を果てにでも引きずり込んでしまうかのような不思議な瞬間を味あわせてくれすのです。そんな小雪の舞いに高雅さまもじっとご覧になられていました。どのくらい時が経ったでしょうか、そなん小雪の舞も終わります。
 『心広くして体胖なり』か、わずかに微笑が高雅さまの唇元に戻ってまいられました。『人はなかなか胖にはなれんものだのう。人は心をいくら広くしても、結局、その広さの中に納まる心が育たないからなのだ。人が人を理解することが出来ないからだ。自分の事しか見えない人が多すぎるということです。佐幕も尊王もない、人をして総ての人を容認する心が、伯父洪庵先生の受け売りですが、今の世の人達には、残念ながら欠如しているからたと思うのだが』と、これが私が聞いた高雅様の最期の言葉でした。そこには何か思いつめたような悲痛な叫びみたいなものは何一つなく、淡々とお話されていました。」