私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―吉備の夕焼け

2012-05-12 14:06:16 | Weblog
 西の空に一杯に広がった真っ赤な夕焼けの空を、林さまは以前から眺めておられたのでしょうか、静かにお話になられました。
 「小雪、お前さんも、新之介さんあたりから聞いた事があると思うのだが、あれがよくお話になられていた高雅さまのお山の夕焼けなのだ。吉備の夕焼けなのだよ。何時見ても大きいね。人を超えた美しさだ。偽りのない本当の美しさなのだ。・・・・ あの真っ赤な色は、人の心を過ぎ去った時に誘なうに余りあるよ」
 また沈黙がしばらく続き、お須香さままでもみんな山の端に沈み行く太陽をさも名残惜しそうに眺めていました。
 「まあ、これが吉備の里の夕焼けどすか。此処へ来て一年近くなるなるのどすが、初めて見ました。大きな大きなお腹どすこと。新之助さまは、あんなに膨らんだおひいさんは、一日じゅう、お空の真上から、この地上においでのお人たちの仰山の悪い事を全部飲み込んでしまわれ、それであんなに膨らんだお姿にななれたと、何時だったか聞かせてくれはりました。かわいそうなのおひさんだと、お笑いになりはりながら、おはなしくれはりました」
 その時、お須賀さまは、きっと小雪のほうへ向いて、まだ何か云い足りないいやみ事でもあるかの如くに、何か言いたさそうな素振でしたが、林さまが続けて
 「小雪、あの日も高雅さまが言われていた『お山の夜の七化け』がこれから始まるのだ。あのお山が日差のお山です。そうですね、ご新造さま」
 「そうですとも、作之丞は小さい時分から、ここからあのお山に落ちる夕陽がね。特に、秋の夕陽が好きだとよく申しておりました。・・・・・・・
 そうそう、何時だったか定かな記憶はないのですが、こんな歌を詠んだこともありました。
          夕日影 なごり消ゆく 雲のはに
                     色さへ見えて 秋風ぞふく
 それにしても、わたしも、久しぶりにお山の夕陽を眺めさせていただきました。小雪さんではないのですが、ひとりごとが突然口を衝いて出てくるぐらい、本当にきれいですこと。なんだかんだの浮世の事にかまけて、身の回りにある沢山のきれいな事や美しいことを忘れてしまっていました。そう言えば、高雅、いや作之丞がまだ十歳にもなてなかった頃だと思いますが、あの日差のお山に落ちるに従ってだんだんとその大きさを膨らませて行くお日様を見て、足守の父あたりからではないかと思いますが、誰に聞いたのかも知りませんが、何か、一杯、一日中、お日様が食べたからか大きくなってたのだと、しきりに話していたのを、今、思い出しました」
 ややおいて、また、林さまが話を続けられました。それは、まだ小雪の方を穴が開くのではないかと思われるほどじっと食い入るように見つめているお須賀さんに対して云っているようでもありました。
 「小雪、よく見ておきなさい。これから段々と時が進むに連れて、こちらのお山もあちらのお山も色々と化けていくのです。金色から赤、黄、緑、青、紫、と七化けしていきます。これが高雅さまご自慢の吉備のお山の夜の七化だぞ。・・・・・・ははー、新之介さんの高雅さまの口癖の受け売りだな。・・・お喜智様が、先程、申されたように人の目には誰でも全く寸分の違いも無く同じに見えるのだ。老いも若きも、男であろうと女であろうとな。身分の偉い人だけ特別に美しゅう見えるのと違うのじゃ。それとおんなじで。差別なんてものは昔から神様は作ってはいなかったはずなのだ。それがあの福沢さまが申された「人の下に人を作らず」なのじゃ。みんな同じなのだ。人が汚いとか綺麗とかという思いは、人のもつ偏見が作るものなのだ。なー、お須香さん」
 その「なー、お須香さん」と、林様が言われた時でした。突如として、お須香さまが、私のほうにややいざりながら、今までの言葉ざまとは幾分違ったように私に話し掛けておいででした。
 「小雪さんとか、・・・今なんと言われました。私には、確か、新之介と言ったように聞こえたのですが、そうですか。」
 ややしばらく置いて、また、
 「まさかあの鷺森新之介のことではないでしょうね」
 じっと私を見据えて話しかけてこられました。
 「はい、新之介さまは、確か鷺森とかおしゃられていらはりました」