私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―涙の中の夕焼け

2012-05-11 20:13:47 | Weblog
 小雪の泪は、次から次へと止めどななく溢れ落ちてきます。喜智さまのお声もその泪と一緒に、何か遠くに浮かんだ綿雲のようにふわりふわりと霞んでいくようにも思われました。自分が自分であることすら忘れてしまったかのような夢の中を彷徨っているようでもありました。
 しばらく間が開きました。
 ふと、小雪は、小さく折り重なった自分の紫の小紋の羽織の袖の上に溜まっていたいくつかの小さな泪の露が薄ぼんやりとした赤色に染まってきらきらと動き回りながら輝いているのに気が付きます。
 「おやなにかしら」
 目頭をそっと上げて、松と桜のお庭に眼をやります。すると、お庭の木々の向こうに、大きく大きくあらん限りに自分自身を膨らませた夕陽が、自分の金の色を辺り一杯に輝かせながらお山の向こうに入って行こうとしています。その真っ赤に染まった夕焼けの光りが、庭の木々の間越しに、膝の上に出来た自分の泪に入り込んで、赤く染まっているのでした。
 「まあ、夕焼けが。夕陽ってこんなにきれいどすやろか。それも自分の流した泪の中に」
 小雪は、心の中で思うのでした。かって自分の流した泪の中に映る景色なんて見たこともないし想像したこともありません。それが、今、忽然と小雪の目の中に幻のように現われてきたのです。そっと顔を上げて、泪を染めた真っ赤な夕日にめをやります。すると、そこには喜智さまのお姿が、山の端に沈み掛けた黄金の太陽の中に、真っ黒なシルエットとなって浮かび立っています。その黒の中に垂れ下がる御髪だけがその一本一本、一筋の光りなって輝いているのです。いつか京で、見た仏様か何かが体の輪郭だけを金色に輝かせて四方に広がる光の中で、なんともいえないまろやかな笑顔を浮かべて立ってたっていらっしゃるのを思い出していました。
 「まあきれいどす。新之介様の夕焼けかしら」
 そんな小雪の小さな驚きの心が言葉となって、自然と口から漏れ出てきました。
 その言葉があまりにも突飛なものでしたので、喜智さまも、依然としてその怒りを顔に残したままのお須香さままでも、何事かと辺りを見回すのでした。

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