私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ー葉田の黍餅

2012-05-06 17:01:25 | Weblog
 
 「此の緒子もそうだ。これもやはり備前の猪口だ。絵も色も何もねえ、窯の中で、ただ土を焼いただけで、人間の心を嘲笑うかの如くに、人の心を超越した神の成し給うた美がこの中にはあるのだ。わしも此の備前が好きでのう。これで飲むとあまり飲めないわしまでもが、つい杯を重ねることがあるのじゃ。ふしぎなのじゃがなあ」
 暫らく、手にされたそのお猪口をくるり、くるりと手の中でこめ回されながら、また床の間のの掛け物に目をおやりになりながら、
 「まだ拝見した事はないのだが、大奥様も、また若奥様もよくお歌をお詠みだそうだ。どうだ、小雪も歌ぐらい習ったらどうだ。奥様にでも教えてもらってはいかがかな。あははは・・・・」
 久しぶりに聞く林さま本来の声です。その「あははは・・」という声と一緒に、再び喜智さまがなにやらお持ちになって、急に座を整えた小雪の前にお出でなさいました。
 「小雪さんには失礼しました。折角のお客様にお茶も差し上げないとは、私も随分と年を取って物忘れがひどうなったものだこと。・・・さあどうぞ召し上がってくださいね。これはね、足守から届いた葉田の黍餅です。私が好きなものですから、足守にいる弟が時々寄こしてくるのです。お茶碗は、あなたが京生まれだと聞いたものですから、備前というわけにもいかないでしょう。京焼の茶碗にしておきました。どうぞ、お口をお付けくださいな」
 そんな細かなお心配りのお優しい言葉には、小雪にとっては、もうとっくの昔に何処かへおいてきてしまったかのような柔らかな心地よい響きがありました。
 でも、一方その言葉は、また、今自分は桁違いのお場所に身を置いているのではないかという自分自身を苛ます小雪の気持ちに押し戻すのでした。
 「では・・」
と、喜智さまがお座りになられると、そんな小雪を気にしていたのではないでしょうが、林様は、再び、お話をお始めになられのでした。
 「以前から、老中の板倉様などの江戸幕府の奸吏に与しながら、また、一方では、尊王攘夷を振りかざし、その者達と二股を懸け、富家へ立ち入り大金を貪る大奸物である、天誅を加えねばと、佐幕の人からも攘夷の人からも付狙われておいでのようでした。それを随分とご心配になっておられた、緒方さまのたってのお願いで、今後のことについてご相談にと、あの夜、京での所用もございましての、ついでといっては何ですが、高雅さまとお会したのでございます」
 そこで、林さまは、お手持ちの備前の杯に僅かに残っていた冷めきってお酒をぐいとお飲みになられました、
 「おや、お酒が。 暖めましょう」
と、喜智さま。
「や、もう、私にはこれで結構でございます。今日は少しばかり飲ませていただきました。この辺にしておかなくては、酔っ払って後のお話が続きません。・・・・・では、次を始めます。おう、そうそう。 大暗礁も大暗礁だが、さしあたり、洪庵先生のご心痛にも心なされてか、備中藩の方谷さまはご自分の子飼のお人で、備中下道の下倉に住む樋口多平とか申す若者をお遣わしになられたそうです。この人と一緒に、とりあえず琵琶湖から京へ通ずる水の道、運河とか言うそうですが。この建設へとお思いになられたようでした。その樋口とか申す若者は松山藩きっての測量の技量を持っているとかで、これから、その測量に入ろうとされた矢先に起った騒動でした。この計画が完成した暁には、富が京へ集中し、天皇家の磐石に期すという思いからだと、滔々とご自分の計画を自信ありげに堂々とお述べられていたのです」
これも後から知ったのですが、宮内辺りの巷に流れた噂では、林さまも何千両という金額の御援助を高雅様になされたと云うことでした。しかし、この時、どれだけのお金の援助をご自分がしたなんて金銭的なことは一切お触れにはなられませんでした。