私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―残照

2012-05-24 18:16:26 | Weblog
 「まあ、なんと美しくも見ている人の心を溶かすかのような精緻な気品高いお舞いですこと。・・・・あの日差しのお山も今の小雪さんの舞いをどう見たでしょうかね。・・・・不思議な事でしたが。小雪さんの翳す真っ白いその指先の暮れ行くあの紫紺のお山の中に、ぽっと、突然に、光次郎の幼い笑顔が浮き立ちました。そして、『ははさん、ご心配無用でござります。この京の地で、ゆっくりと、これから変わっていくだろう天使様や御国の行く末を、じっくりと見つめてまいりとうぎざいます』と、語りかけてくれたよでした。・・・小雪さん、・・・・本当にありがとうございました。あなたのその舞いを見ておりますと、高雅、いや、光次郎も、この宮内で眠るよりよっぽど、今、それこそ天地を揺り動かすような上え下えの大騒乱の真っ只中だと聞くあの京の地で眠って、これから先々のこの国の行く末を見守っていたほうが、それこそ本望です。『かか様ご安心くだされませ』と言っているように、あなたのお舞から私にはそんな風に伝わってきました。・・・・本当にありがとうございました。・・・今の小雪さんの舞いを見ておりますと、なにかしら、何にもない、それこそ、やせ我慢も世間様も何にもない空っぽの、何と言ったらいいのでしょうか、虚ろとでも言ってもいいのではないかと思えるようなものの中に、突然引き込まれたような気分になりました。この頃、わたしも、なんだかんだという世間様の讒謗に聊か辟易して、胸一杯に得体の知れない思いが痞え痞えしていたのも事実です。・・・・が、今の小雪さんの舞いを見ておりますと、何だそんなに気を張って生きなくてもいいのだ、心経の中にある「空即是色」とでもいうのでしょうか、兎も角、そんな世間様の謗讒なんかに気を張って生きなくてもいいのです。「自然のまっまでいいのだよ。あなたの思うままに生きたらいいのですよ」とでも云い聞かせてくれているようでもありました。あなたの舞を見て、今、本当に「あれでもよかったのだ」、と言う思いが、今、私のこの胸に強く行き来しています。今まで胸の内にわだかまりわだかまりして高まってきていたものが、急に、さっと千畳の谷底に蹴落とされるように消え去って、なんだか私の今までの生き方を嘲笑っているようにすら思えるのです」
 
 これは、小雪に云っているようでもありましたし、お須賀さんにも、林様にも云っているようでもありました。でも、小雪は、このお話を伺って、喜地様の強さというか、いや女という性の強さを母と比べながら、女って何だろうかなと小雪は一人で思うのでした。
 宿のお粂さんに追い立てられるようにして飛び出してきたものの、これから先のどうしようもない心細さに、わが身が押しつぶされそうになりながら辿ってきた今日という日の中のほんの一瞬の間の出来事が、今はなんだか嘘のように思われます。この鄙の宮内に来て、初めて、先ほど見たあの日差しのお山の中に落ちていく夕影の赤と青の残照があたり一面に広まっていくような何となく安堵した心地が、また、この喜智の言葉の中から小雪の胸の中に湧いてくるようにも思われました。