私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

5・15事件を歩いてみました

2012-05-15 09:31:17 | Weblog
 小雪物語はちょっとおいといて????というわけではありませんが、昨日、今日の分まで書いておきましたから、その代わりと云っては何ですが、今日は5月15日です。吉備の生んだ偉人あの「犬養毅」の暗殺された日です。ちょうど今日がその80周年の記念日なのです。そんなこともあって、この木堂の吉備を少々歩いてみましたので見てください。

 先ずは、5・15事件を報道した朝日新聞の一面です。

 この記事を読みながら私の持っている5・15事件関連のグッズもご覧ください。

   

 初めは木堂の書の掛け軸です。“心静則衆事不躁<”と書かれています。(このリンクをクリックしてください)
 次は、77歳の、既に、とっくに政界から身を引いていた木堂を、再び、政界に引きずり出さずにはおれなくなった、あの「満州事変」の突発時に、昭和6年9月19日ですが、満州南嶺の戦闘で使った日本軍が使用した砲弾です。大変珍しい私の自慢できる品の一つです。
 3番目は本です。これまた有名な「リットンレポート」です。やや日本ビイキみたいな箇所もこの報告書には書いてあります。更に、この報告書の後ろに展示してある写真は、満州事変が勃発した時の一番初めに中国軍と日本軍が始めて戦いを交えた場所です。相当な激戦地の写真です。あの有名な南領での戦いです。その時、日本の戦闘機が写した空からの中国兵営の写真です(「新満州国と満州上海大事変史」より)


 なお、色紙に書かれた「慈悲」という揮毫は、木堂の暗殺される直近の書です。これも又相当珍しいものです。なお、ここに書かれている「慈悲」という言葉も、又、木堂が大変に愛していた言葉だそうです。見方に依れば、これも死の直前に云った「話せば分かる」の原典かもしれませんね。
 

 このような物を並べて、毎年、「私の5・15事件記念日」として、木堂の御冥福を改めてお祈りしています。

 それから、外はあいにくの小雨でしたが。「5・15事件を歩く」と云うタイトルですので、自転車を繰って、木堂の慰霊祭が催されている吉備津神社と木堂の墓地、生家、祈念館のある庭瀬川入にも足を覗けてみました。それについては、また、明日に。