私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―備中宮内

2012-05-14 18:29:46 | Weblog
 「どうして新之助をあなたが知っているの」
 怪しむように、じろりと見下すような眼差をして、その憎々しさを、まだ、一杯に顔に表しながら、須香さまは、小雪の方にいざり寄って近づいて来られるのでした。
 小雪のどう対処したらいいか分らないような困惑の色をお感じになったのかもしれません、横から、林さまが
 「須香さん。まあ一杯どうですね」
 と、ご自分の猪口を差し出されました。須香さんと呼ばれたそのお人は、ややあわてるように
 「まあ、とんでもありません。私がお酌しなくてはならないのに、失礼しました」
 と、冷え切っている徳利を両の手で、暖めるかでもしているようによっくりと捧げながら、林さまにお酌して差し上げられました。
 「なあ、お須香さん。随分とご心配かけたね。・・・・あなたのご心配分らぬでもないが、どうしても、今日は、この小雪を奥様の前に引き出さねばならないわけがあってね。ごめんよな。まあ聞いてくれ」
 そして、林さまは、須賀さんが注いでくれた盃をゆっくりとお口になさいます。
 「そうです。文月25日の夜です。京で高雅さまと、此度の琵琶湖疎水工事ご融資について細かな打ち合わせをしておりました。お側には新之助さんもお出ででした。何時もの例ですが、小雪も、勿論、私が呼んでおりました。しばらくして、別に特別なお話があったわけでもまく、新之助さんたちがいてもいなくても別に構わなかったのですが、高雅さまはどんな了見か知らないのですが、とにかく、この若い二人を、我々の話から故意に遠ざけられておしまいになられました。高雅さんの特別な計らいであったのかもしれませんが、ははは・・でも、今となってはそれを確かめることなどできませんがな」
 さも残念そうな林さまの口ぶりです。
 でも、小雪は知っていました。高雅様の特別な計らいなんてあの場にあった筈がありません。ただ、その頃、新之助さまが、高雅さまの日夜に渡る警護の為に少々お疲れになっている様子で、それを慮っての計らいだったと思っていたのです。それが特別な計らいであったと言われるとそうですが、そんなあの晩のことが、小雪には今更のように甦ってくるのでした。
 「また、今夜も新之助様とお二人だけでお話できる。」
 何となく楽しさがこみあげてくるようでした。男と女の色恋いではない、遠い異国の小雪の知らない世界の事が聞けるのです。それも金銭抜きの若い男性と対で聞けるのです。でも、小雪の心の隅には、もしかしたらと、云うひそかなあまり期待もしてない、自分に置かれている身に対する、それでも小さな小さな誰にも言えない少女みたいな初な喜びみたいな物があったのも確かなことです。
 そんな二人を遠ざけると、高雅様は、琵琶湖から京まで、水運を利用した流通経路を確保するとそれまでにはなかった経済効果が京にもたらされ、天子様の間接的なお支えになるのだと力強くお話になられます。是非実現に向けて力を注ぎたいと、従来にも増して、その夜は熱っぽく具体的な計画まで細々とお話になられていました。その為の金策に、今、大変苦労しているのだが、此の度ようやく幕府からの援助も、山田様を通して、どうにか目鼻がついたと喜んでおられました。「これからが本当の伸るか反るかの大勝負になるのだ。宜しく頼む」と、おっしゃられました。今後の測量など未経験なことばかりで苦労がまだまだ続くだろうと苦笑いされながらお話になられました。その後、別室の若い二人をお呼びになりました。『今晩はここにお泊りになって、明朝お帰りになっては』と言ったのですが、『山田が心配するから』とか何とか言われて、夜も大分更けた京の町に、新之助さんをお連れになってお帰りになりました。『小雪も、では、そこら辺りまで送ってもらいなさい』と、河内屋の玄関から3人を送り出して、ほんのいくばくもたってないと思いました。私の部屋に入ろうとした時、表のほうから、「ぎゃ」という声とともになにやらけたたましげな騒動の気配が耳に入ってきました。とっさにある種の胸騒ぎが私を覆い包みました。『天誅』とか何とかという甲高い天を突くような声も闇を通して辺りに響いていました。話には聴いたことがあったのですが、生まれて始めて聞く声です。一瞬、『何事もなければ』と胸騒ぎを覚えました。
 どのくらい時間が経ったでしょうか。ほんのわずかな時間だったと思われますが、何か、ばたばたと大勢の人達が河内屋の前の往来を足早に立ち去る音を耳にします。それっきり又静寂の京の夜に戻ります。その時です。私の泊まっている部屋の庭に面した戸の外から。
 『だんなさん、林さま』と、薄気味悪い声が聞こえてきました。
 一瞬ぎょっとしましたが、その声のする戸を、こわごわと、わずかばかり開けました。
 『あっしは、万五郎でごぜえます。お話する時間はございません。あのお二人はもう助からないと思います。このお女中は命には別状ございません、でも、お命を賊に狙われているようです。ここにおいて置くと危のうございます。どういたしましょう』
 状況は、とっさに判断できました。今は、せめて小雪だけでも助けてやらねばと思い、万五郎親分に
 『京に置いてはおけまい、今すぐにでも、お前の宮内へでも隠してくれないか』と頼んで見ます。
 『人の命に関わっていることです。どうにか致しましょう。なんとかなるでしょう』
 と、親分。
 それからどうなったのかは分りませんが、後々の風の便りでは、小雪はどうにか無事で、備中の宮内に生きているということを耳にして、少々安堵していたのです。
 

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