私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ーはるのひかりは

2012-05-05 13:12:00 | Weblog
  「私が、最初、浪速で高雅様にお目にかかったのは、洪庵先生のお宅だったと思います。先生のお宅に、作州の宇田川榕菴先生がお見えになっていらっしゃるとお聞きしたものですからお尋ねしたところ、偶然にも、そこで高雅さまにお会いしました。高雅さまとは、高尚先生のところに2、3回お尋ねしていて以来、旧知の間柄でした。その場で、今回の高雅さまの途方もないと思えるような高遠なご計画を拝聴させていただきました。また、方谷先生をお通しして、直接備中松山藩主板倉様のお口聞きで、徳川様の幕府からも相当のご援助も受けられる手筈になっているとも受け賜りました。それは、紀淡海峡に大暗礁を築造して夷船を防ごうという計画でした。その計画は逐一ご子息様紀一郎さまにはお伝えしてあるようにお伺いしていますので、既に、大奥様にはご存知だと思いますので省きますが、でも、この計画について、高雅さまは、あの方谷先生から、『ある時「富潤屋」と墨書された大高檀紙をもらってな』と、あはは・・・とお笑いになっていらっしゃいましたのが印象深くこの頭に今でも残っています。・・・・・・・老中であらせられる板倉様も、また幕府でも、その後の次から次へと起る国政の難題に、この計画にいたく感心をお示しになっていらっしゃたにもかかわらず頓挫しなくてはならない羽目に陥ってしまったようでした」
 一気に胸にある思いをお出しになったのでしょうか、
 「小雪、もう一献勺してくれ」
 と、これも珍しく林さまは、ご自分からご催促されました。お酌にと、御席に近づいた時、喜智さまも「あ、そうだ・・ちょうっと」とか、小声でおっしゃって、誠に品のいい御立ち様でお立ちになられ部屋から風のようにお姿を消されるように出て行かれてしまいました。
 お酌する小雪を見ながら、林さまがおっしゃられます。
 「この床にかけてあるこの軸が分るか」
 このときになって始めて部屋の中の様子も、小雪の目に映るようになっていました。
 床には、和歌かなにか、どう書かれているのかは定かではないのですが、女手の字で書かれたような軸がお掛けしてありました。
 「これはな、お喜智様の旦那様の輔政さまが、庭に咲くつばきを見て、御詠みになったお歌だ。字も輔政さまの手だ。
 
  つきせじな 花はおつとも 玉つばき その葉にもてる はるのひかりは 

 と詠むのだそうだ。此処からちょっと見えるお庭にある松の側の椿をお詠みだったようです。尽きせない春の光をどのように見ておられたのだろうか。今日の光と同じだろうかな。それにしても、備前はつばきによく合うなあ。この軸ともよくつりあっているではないか。見事なものだ」

 お酌したお酒を、ごくりと喉越しの音を立てながら、林さまは、さもうまそうに一気に飲み干されました。

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