ぼくの授賞式での記念写真です。
橋本伸一、通称しんちゃん。
彼はもういない。死んでしまいもう随分になる。
彼の死はあまりにも早い。
彼はぼくにギターを教えてくれた。当時、彼の家は河原町三条上るにあった。まちのまっただ中であった。
街なかで育った彼は、全くのスポーツ音痴だった。だから、彼は音楽や芸術的な方向に自分の才能を向けたのだろう。
そんな彼が服飾の世界に興味を持った。大学に行きながら、藤川学園という服飾の学校に通い出した。
スポーツ音痴といったが、彼は車の免許を取った。
走る凶器になるから、車は運転するな、と皆はアドバイスをしたのだったが、彼は一切耳を貸さなかった。
拘りのある彼は古いルノーを2台買って、1台の愛車を作った。
その車が入る日、ぼくは彼に試乗のため呼ばれた。
得意気な彼に招き入れられ、ぼくはルノーに乗り込んだ。
彼は運転を始めた。ぼくは後部座席で体を硬くしていた。
25メートルほど走って、恐れていたことが現実になった。
そのまま電柱に衝突したのだ。
広い道だったので、本来は有り得ない電柱への体当たり。
いかに彼の運動神経が立派だったかが判る。もちろんルノーは買った日にパーである。
以来、彼はペーパードライバーであった。
当時は、個人デザイナーの時代は過ぎ、集団デザイナーの時代に入っていたこともあって、東京の鈴屋(?)に就職した。彼の作品が装苑を飾ったこともあった。
が、東京での生活に見切りをつけ、彼は京都に帰って来た。
そして服飾関係の会社に所属した。
東京を離れるについては、いろんな思いがあったのだろうが、そんなことには一切、ぼくとの話ではふれなかった。
彼は京都に戻ると、以前、ズームズというバンドを作っていたので、バンドをやりたい、とよくもらしていた。
久しぶりにズームズが集まりバンドもやったりもした。
が、突然の訃報だった。
酒と音楽が好きだったしんちゃん。
もし生きていたら、きっといろんなおもしろいことを、ぼくらといっしょにしていることだろう。