地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

④西洋乞食とひっつき虫を覚えてますか。(京都音楽事情)

2006-08-29 23:34:39 | 音楽の部屋
 京都フォークと呼ばれるほど、京都はフォークソングが盛んだった。
 大塚孝彦、ドディーランブラーズ、ジローズ、マヨネーズ、フォークル、バニティー、古時計、など枚挙にいとまが無い。
 そんなフォークグループのなかに、「西洋乞食とひっつき虫」と、いうグループがあったのを、覚えていますか。
 彼らは中坊忠明を中心に4人から5人のメンバーで活動していた。
 京都のレーベルから「西陣エレジー」と「波のままに風のままに」という曲のカップリングのレコードと、彼らのオリジナルのエル・ピー版を1枚だけ残して消えて行ったバンドである。
 高音のパートを受け持っていた山本ひろしは既に死んでいない。
 「西洋乞食とひっつき虫」が少し異質なバンドだったのは、彼らがオリジナルのブルースを演奏していたことだった。「ブルースなんて大嫌い」と「尻軽女のブルース(171号線のブルース)」はなかでも秀逸だった。
 憂歌団がまだ世に出る前のこと、1968年ごろのことである。
 なかでも印象的なのは、彼らが高石ともやの出演するKBSラジオのバンド・コンテストに出演したときの話である。
 彼らは、もうその段階で解散を考えていた。
 そのため、自分たちのバンドの個性として「ブルースなんて大嫌い」と「尻軽女のブルース」をそのコンテストで演奏することにしたのだった。
 高石ともやは、コンテストにブルースは向かないので、ほかのオリジナル曲でやるほうがよい、といったのである。
 が、ブルースで負けるのなら本望。この曲でやらなければ「西洋乞食とひっつき虫」がやってきた意味がない、とあえて玉砕の形でのぞんだのである。
 結局、高石の予言どおり、優勝は出来なかったのだが、高石がいった、
「このバンドは京都の誇りだ。あえてブルースをやる。こいつら馬鹿だなと思うけど、このバンドには何かがあった」
 と、いう言葉で、このバンドのすべてがいい表されているように思ったものである。