長年トヨタを研究している猿田氏に寄稿いただきました。
「日本的経営」の崩壊とトヨタの躍進
猿田 正機
(中京大学名誉教授)
「トヨタ労組の組織内候補断念」については、当然の流れかなという思いはありますが、全く驚いておりません。立憲民主党の枝野氏の退陣は、期待していただけに大変残念です。
最近のトヨタの労使をみていると、組合は、完全に主体性を喪失しており、まったく組合とは言えない組織になっています。私的に言うと、トヨタ労組は、トヨタの「人づくり」によっつくられたトヨタマンのトヨタマンによるトヨタのための従業員組織で、その任務はトヨタ的経営や生産性向上への労働者の動員と言ってよいでしょう。
私が、トヨタ研究を40年以上も続けてきたのは、別に、トヨタという企業のことを詳しく研究したいという思いでやってきたわけではありません。その背景には、トヨタ生産方式が西三河から、全国、さらに「リーン生産方式」という名で、様々な産業を超えて、世界に広がり、悪影響を広げる中で、マスコミの報道のみならず、日本のトヨタの労働・生活の研究者が激減していることがあります。トヨタの現実がまったくと言ってよいほど伝わらなくなっています。
決して、「トヨタシステム」研究の価値が低下したわけではありません。生きている間に、できるだけトヨタが隠したがっている裏の真実を書き残しておくのも私の仕事かと、トヨタの研究を再開してます。
先の「古本伸一郎氏の立候補取りやめ」問題について私が気になるのは、他の大企業労組はどうなるのか、連合はどこへ行くのか、日本の労働運動やユニオン運動がどうなるのか、さらに日本の政治はどこへ行くのか、という点です。もちろん、この問題を、ここで論ずる余裕はありませんが。トヨタの発展の流れと私の現状認識は以下の通りです。
1960年の安保・三池のたたかい以降、日本資本主義は「福祉社会」を目指すことなく、「企業社会」へとひた走ってきました。その原動力となったのが「日本的経営」や「トヨタシステム」であったといってよいでしょう。
トヨタが日本さらには世界的に注目されるようになったのは、オイルショック以降の不況期やそれに続く80年代の低成長期にも躍進を続け、90年初めのバブル崩壊以降も、リーマンショックや東日本大震災の危機を乗り越え、一時期を除き、収益を上げ続け、膨大な内部留保を蓄え続けたことにあります。西三河の田舎企業を自認していたトヨタが、いつの間にか日経連や経団連の中心に座るようになっていました。世界的にも、日本の代表企業、モデル企業ともてはやされています。
トヨタで注目しておきたいのは、1964年の労使宣言、オイルショック後の下請企業を含むジャストインタイム(かんばん方式)などトヨタ生産方式の浸透、そして、80年代のQCサークルなどを使ったME・OA機器のスムーズな導入による職場改善であり、21世紀初めのトヨタ元社長・会長である経団連会長(当時)主導の派遣労働者の製造現場への導入です。
かくして、トヨタが進めてきた経営主導による人事労務管理の確立、つまり雇用の柔軟化、労働時間の柔軟化、賃金の柔軟化、下請従属構造の確立そして「労災・過労死・自死」の軽視・無視、かくして、本来は、労働者・国民を守るべき防波堤の役割を担うべきはずの労働組合が、まったく逆に、労働者や国民からのトヨタ批判の防波堤としての労働組合が出来上がりました。
現在のトヨタの労使関係(労使協議会)は、「トヨタイムズ」として、公然化しており、そこでは、経営陣・管理職層・労働組合の「三角交渉」なども行われ、組合役員や管理職層が豊田社長のお叱りを受けたり、経営陣の指導を受けたりしています。いわゆる春闘も官製春闘や安倍春闘などとして自民党・経団連主導になっており、その先頭を切って回答してきたのがトヨタです。今回、カーボンニュートラル問題などの歴史的危機に直面して、トヨタ労組や全トヨタ労連が、トヨタを守るために推薦候補を見送っても、それほど驚くべきことではないでしょう。トヨタ労組には、添付資料にあるように、組合員の「いのちや健康」を本気で守る気はなく、まして、日本の労働者や国民の雇用・生活を守る意思はまったくないといってよいでしょう。
元来、「気候変動」問題への対処は、人類にとってのグローバルな課題であり、組織内候補をどうこうする問題ではありません。党派を超えて意見を交換し国民的合意を引き出すのが政治の役割だと思います。真剣な議論を避け続ける日本の現状こそ問題視されなければなりません。
ご存じのように、日本の高度成長を支えてきたといわれている「日本的経営」が崩壊するなかで、バブル崩壊以降の実質賃金の傾向的低下や非正規労働者の増大にみられるように、労働者の労働・生活は極端に悪化し続けています。
それにもかかわらず、トヨタシステムの評価は高いまま維持されています。私の見方では、トヨタシステムが評価され続ける限り、日本が良くなることはないでしょう。普遍的な「福祉社会」はできないと断言できます。
今の野党に欠けているのは、自民党に変わって、どんな日本をつくりたいのかというイメージづくりに成功していないことではないでしょうか。私は、1990年前後から、諸外国を調査・旅行するようになって以来、個人的には、北欧型福祉国家、例えば200年以上も平和を維持し続けてきたスウェーデンのように、社会保障・福祉政策、保育・教育政策のみならず、環境、平等、移民政策などには学ぶべき点は非常に多いとおもっています。その後、EU統合などで最近は苦労していますが、それでも一歩一歩進んでいる様子が見て取れます。
労働組合運動にしても、産別の賃金交渉や同一価値労働同一賃金、所得の再分配、雇用・失業保障など労使交渉の枠組みは壊れていません。労働者・国民の雇用・生活を守るという姿勢は一貫しています。「過労死・自死」問題も聞いたことがありません。このような土台の上に、社会保障・福祉政策は成り立っているのです。
私は、ここ30年ほどトヨタ研究と並行してスウェーデン研究を続けてきましたが、その違いには愕然とさせられ続けています。スウェーデンの政治・経済・社会システムは、長年にわたって、社会民主党や環境党、左党(旧共産党)などによってつくられてきたものです。
日本の野党も、確信をもって進めうる将来像を打ち出し、連帯して進むべきでしょう。さもないと、トヨタ労組のような組合が今後も出てくることは避けがたいと思われます。国民の意思が反映するような選挙制度への改革が望まれます。