ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

沈黙の春と夏

2008-05-06 | 日記風
むせるような栗の花の匂いが夏の訪れを告げてくれる。昨日は立夏。暦の上とはいえ、はや夏が来た。田んぼには早くも稲の苗が植わり、木々の花はいま花盛りだ。アゲハチョウも飛び回る。しかし、ちょっと何か寂しい。田んぼの中には生き物の姿がない。田植えをする頭の上にツバメが飛び交う姿もない。チョウチョも数が非常に少ない。蛙の声もほとんど聞かない。池には昆虫もいない。

 緑は一日一日と濃くなって、夏らしくなってきた。まるで駆け足のように春から夏へと進んでいく。しかし、なにか足りないような気がしてならない。夏はこんなに静かだっただろうか?やはり「沈黙の春」「沈黙の夏」が、小江戸川越にも押し寄せてきたような気がする。そういえば連休に帰ってきた娘たちが子供の頃は、夏になると窓から蛾たちに混じって時折大きいカブトムシやクワガタムシ、コガネムシが飛び込んできたものだ。河原では真っ赤に売れた桑の実を口の周りを真っ赤に染めて頬張ったものだった。窓の下の湿地からは、キジやコジュケイの声がにぎやかに聞こえた来たし、5月のさわやかな風に乗ってカッコウの声も聞こえた。湿地帯を流れる小川ではカワセミの姿も見た。すべてほんの20数年前の話だ。

 最近は、それらすべてが無くなってしまった。長年続いた農薬の空中散布がとうとうここまで自然を追いやってしまったのだろうか。まわりで咲いている花はほとんど外来種ばかりになってしまった。そして結局田んぼも少なくなってしまった。人間は愚かなものだ。永久に残るものを壊し、一時的な快楽を夢見て、地獄を現出してしまう。これからでも未来はまだ間に合うのだろうか。もっともそれに気がつきもしない人が多いのだから、きっとみんなが気がついたときは遅すぎるのだろう。南無阿弥陀仏。

暑い。