ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

なぜ釧路で鯨を食べるのか?

2007-09-24 | 環境
 釧路沖でミンク鯨の調査捕鯨が始まった。釧路市では捕鯨で街おこしをしようとて、クジラ祭りやクジラに親しむ市民の集いなどを開いて鯨肉をたべさせようと躍起になっている。釧路沖の調査捕鯨は1年間にミンククジラ60頭の枠を設定している。昨年は調査捕鯨の期間中に60頭をようやく獲ったが、鯨が少なくなっているのでこの枠を消化するにもやっとの思いだったようだ。

 調査に携わった東京海洋大学の加藤教授によると、昨年度はミンククジラの主な群れが近くにいなかったとか。しかし、ミンククジラといえども昔の捕鯨時代から比べれば、大幅に数を減らしている。調査捕鯨でも獲るのに苦労するほど減っているとは口が裂けても言えないらしい。研究者としてどうなんだろう。政府にたてつくと研究費がもらえなくなるのだろう。いま世界でも昔と変わらない数が見られる鯨は東太平洋のコククジラ一種だけだという。そんなコククジラも日本近海では絶滅寸前といわれている。

 鯨を食べるのは日本の食文化だと水産庁は大々的に捕鯨復活に向けて宣伝を繰り返し、年間5億円もだして南極海に調査捕鯨と称する捕鯨船を出している。しかし、この調査捕鯨で南極の鯨の資源が推定できるとは専門家でも思っていない。要するに日本が捕鯨にこだわっていることを示すためのアドバルーンでしかない。さらに商業捕鯨が認められても南氷洋に捕鯨船団を出して捕鯨をする企業はない。いまさら捕鯨に資本投下する企業はないことは水産庁がもっともよく知っているはずである。まして鯨やイルカなどの海産哺乳類の肉に高濃度のPCBや農薬の蓄積が明らかになっている。食物連鎖の頂点にいる鯨たちには人間が垂れ流した毒物が貯まっている。その事実もひた隠しにして捕鯨に突っ走る政府とはいったいなんだろう。そして鯨の肉を食べましょう、捕鯨は日本の食文化だと宣伝にこれ努めている。街おこしに鯨を食べようと考えているNGOやNPOの人たちはいったいなにを勘違いしているのだろう。もっと事実を知って欲しい。

 沿岸の調査捕鯨というのも、公の目的は鯨が食べる魚類資源量を推定するというものだった。ところが、昨年の調査捕鯨でとれたミンククジラを調べても、サンマや鯖などの姿はほんのわずかだった。鯨がサンマを食べるから人間が捕るサンマが少なくなるという詭弁がばれてしまった。もっとも研究者たちはだれも本気でそんなことを信じてはいない。しかし、調査の結果をそのようには発表しない。主群がいなかったので今年もう一度調べようとごまかしている。そんな調査捕鯨がまやかしであることは、世界の人にはお見通しだ。IWCでの論議をよく読んでみると、「日本の常識は世界の非常識」であることがよくわかる。もっと日本人は内向きの議論をやめて世界に通用する議論をするようにならなければいけない。

 私たちは戦後の学校給食でまずい鯨の肉をさんざん食べさせられた。私はあの経験がトラウマになって今でも鯨に限らず肉が食べられない。あんな鯨肉が本当に美味しいと思う人がどれだけいるのだろうか?いま、水産庁が調査捕鯨で獲った鯨肉が売れずに多量の在庫を抱えているという。そのせいで水産庁は鯨を日本の食文化だと強弁して、なんとか鯨を食べさそうと必死である。

 しかし、そんなにしてまで鯨の肉を食べる必要がどこにあるのでしょう。今の日本人は鯨と聞いて鯨肉を思い出す人よりも、ホエールウオッチングを思い出す人の方が圧倒的に多い。釧路が捕鯨で街おこしをするなら、鯨を食べ尽くして鯨といっしょに町が沈没することになる。鯨は家畜ではない。野生動物です。人間と同じ哺乳類で、魚ではないのだから。

 魚でさえ、いま世界の海からどんどん姿が消えつつある。それも温暖化などの影響もあるだろうけど、もっぱら日本による乱獲のせいであるといえる。日本の沿岸でも魚たちは20年前くらいから急激に減少している。ましてや子供の数が年間1頭以下の鯨類は絶滅に至るのは早い。釧路が捕鯨で街おこしをしたら釧路沖のミンククジラが姿を消すのはそう先のことではない。釧路は自分で自分の首を絞めようとしている。鯨で街おこしをするなら、水産庁のおだてに乗らず、ホエールウオッチングで街おこしをすべきではないか。鯨を保護する町として有名になって欲しい。観光客もきっと増える。

 だいたい釧路には捕鯨の歴史なんかそんなにない。わずかに鯨を捕っていたことはあるが、捕鯨で有名な町でもない。国際捕鯨委員会(IWC)で日本が沿岸捕鯨復活のために要求したのは、先住民の生存捕鯨の枠である。アメリカやカナダの先住民の捕鯨がこの枠で認められているのを、日本政府は沿岸捕鯨復活の理由にしようとした。しかし、日本の沿岸捕鯨はれっきとした商業捕鯨であり、IWCで認められるはずもなかった。アフリカや中南米諸国などにODA(国際援助金)を出して捕鯨に賛成してもらうという露骨な票工作をして世界の顰蹙を買った。コスタリカの環境大臣が日本の札束で頬を張るようなやり方を強く批判している。

 釧路ではクジラ祭りにアイヌの人たちを駆り出そうとしている。アイヌの儀式を鯨でもやる予定らしい。先住民の生存捕鯨だと言いたいのだろうか。アイヌ民族は捕鯨の歴史などは持っていない。鯨も食べたであろうが、それとこれとはまったく違う。アイヌ民族を使って先住民の生存捕鯨の理由付けにしようなどとこそくな手段を使ってまで、なぜ鯨を殺したいのだろうか?経済効果は決して高くないことは、経済学者の推定でもわかっている。しかし、捕鯨となると目の色を変える捕鯨ナショナリストが日本にはなぜか多い。

 政府による情報操作が徹底しているからだろうけれど、日本人の偏狭ナショナリズムが鯨で熱くなることは、本当に不思議としか言いようがない。一度間違った方針を出してしまったので、意地でも撤退できないのかもしれない。どこかでボタンの掛け違いがあったのだろう。あなたは鯨の肉、鯨を絶滅に追いやっても食べたいですか?いまさら鯨の肉を食べる文化など日本には根付きはしない。若い人は冷めてみている。

星川淳「日本はなぜ世界で一番鯨を殺すのか?」幻冬舎新書 を是非読んでみてください。
 殺さないで! 鯨は人間の仲間だ。