軸装
万葉歌碑を拓本に採り、軸装にしました。(赤金の筋七子で沈みを三本入れました)
歌碑は山の辺の道の途上、玄賓庵の近くの小さな滝の細い流れの暗がりにありました。
楷書 筆者 日本画家 安田靫彦
山吹の立ちしげみたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
(黄色い山吹の花が周りに立ち茂っている山の清水を汲みに行こうと思うが道がわからない)
作者は高市皇子
天武天皇の長男で壬申の乱の際、19歳で指揮官として天武軍を勝利に導き
天武政権樹立の功労者でありながら、生母が身分の低い出だったため草壁、
大津皇子に次ぐ位に甘んじた不遇の皇子
行書 筆者 同上
この歌は高市皇子が急逝した十市皇女(額田王の娘)に三首の歌を作った中の一首です。
この歌が好きだと言われる俳優の刈谷俊介氏の文を引用しますと
「高市皇子は、おそらく十市皇女に想いを寄せていたに違いない。
十市皇女は一重の山吹の花のように可憐な女性だったのだろうか。高市は山吹の花に
十市皇女の姿を想い重ね、山吹の黄色と山清水に「黄泉国(よみのくに=死者の国)」
を匂わせ、今は亡き十市皇女に会いたいのだが黄泉の国に行く道が解らないと、嘆き
哀しんでいるのだ。この歌は高市皇子の人柄と人間性が滲み出ている」
万葉歌碑を拓本に採り、軸装にしました。(赤金の筋七子で沈みを三本入れました)
歌碑は山の辺の道の途上、玄賓庵の近くの小さな滝の細い流れの暗がりにありました。
楷書 筆者 日本画家 安田靫彦
山吹の立ちしげみたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
(黄色い山吹の花が周りに立ち茂っている山の清水を汲みに行こうと思うが道がわからない)
作者は高市皇子
天武天皇の長男で壬申の乱の際、19歳で指揮官として天武軍を勝利に導き
天武政権樹立の功労者でありながら、生母が身分の低い出だったため草壁、
大津皇子に次ぐ位に甘んじた不遇の皇子
行書 筆者 同上
この歌は高市皇子が急逝した十市皇女(額田王の娘)に三首の歌を作った中の一首です。
この歌が好きだと言われる俳優の刈谷俊介氏の文を引用しますと
「高市皇子は、おそらく十市皇女に想いを寄せていたに違いない。
十市皇女は一重の山吹の花のように可憐な女性だったのだろうか。高市は山吹の花に
十市皇女の姿を想い重ね、山吹の黄色と山清水に「黄泉国(よみのくに=死者の国)」
を匂わせ、今は亡き十市皇女に会いたいのだが黄泉の国に行く道が解らないと、嘆き
哀しんでいるのだ。この歌は高市皇子の人柄と人間性が滲み出ている」