創造のよろこび♪♪

書、表装、水墨画、つまみ絵、写真、洋裁など自分の創作活動を娯しんでいます。。。

手作りお菓子 マンデル・チーゲル

2010-04-30 13:03:43 | Weblog
手作りお菓子 
 
 「マンデル・チーゲル」

プロ級のパンを焼く友人がこのお菓子の作り方を教えてくださったので挑戦してみました。


以前神戸のお菓子屋さんのマンデル・チーゲルを頂いた時なんと美味しいお菓子だろうと
思った事があり、こんなお菓子が手作りできるなんて嬉しくなりました。

ドイツ語でマンデルはアーモンド、チーゲルは瓦を意味するそうですが甘くてパリパリして
薄く壊れそうです。

アルミ皿に材料をのせて焼くのですが1g単位の計量でまんべんなく材料を置くところに神経を使いました。とても幸せな気分です。




墨遊 水墨画

2010-04-23 20:03:18 | Weblog
墨遊 水墨画

  「富貴花」

半切に牡丹の絵を描きました。

中国では牡丹の別名「富貴花」とも呼ばれています。

牡丹は花王、花の王様と言われるように豪華絢爛、美しい花です。

以前訪れた長谷寺の牡丹も境内はたくさんの花々で素晴らしい光景でした。

今日は皇太子様をお迎えして平安遷都1300年祭のイベントが開幕です。

牡丹は遣唐使の空海がはじめて日本に持ち帰ったと聞きますが悠久の歴史を感じます。

写真 芝桜

2010-04-16 17:18:49 | Weblog
カメラ散歩

  「芝桜」

二十五年前に、わずか5cmの茎を二本貰って門扉横に挿し目して植えたのが
こんなに見事な芝桜になりました。

肥料を沢山やったわけでも無いのに地を這うように広がって、毎年4月頃になると
美しく咲きます。ただ手入れといえば、地から浮き上がっている茎に少し土をかける
程度です。
この生命力の不思議さに改めて驚かされます。

昔、修学旅行で鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れた時に聞いた大銀杏の実朝と公暁の物話が
ずうーと忘れられず、三年ほど前に再度鎌倉を訪ねました。

その大銀杏は過日の春疾風で倒れてしまいましたが、その根元から早くも新しい芽が
出ているとか。
樹齢八百年生き続けた老樹の世代交代でしょうが、見事な生命力です。

墨遊 俳句

2010-04-09 18:02:51 | Weblog
墨遊 俳句

Kの俳句二句書く

 花ぐもり義経ここに潜みしか

  吉野山の櫻見物に出かけた。「一目千本」と秀吉が絶賛しただけあって
  山全体が満開の櫻に覆われていた。吉野には歴史の痕跡が数多ある。
  史跡・吉水神社(吉水院)では、義経主従の潜居の間や後醍醐天皇の
  玉座の間を拝観した。追っ手を逃れてこの辺境の地に潜伏した英雄の
  無念さと静御前との哀しい惜別に、悲運の後醍醐天皇が追い詰められた
  数奇な運命に想いを馳せた感慨深い旅だった。花が綺麗なだけ歴史の
  重さが身に沁みた。

 西行のやうに逝きたや花の下

  今、櫻が満開である。櫻の季節のたびに脳裡に浮かぶ歌がある。
    「願わくば花の下にて春死なむこの如月の望月のころ」
  西行の和歌である。西行の心境はどうであったか分らぬが、
  もし死期を選べるなら櫻満開の満月の夜、桜の根方で生涯を終える
  のは素晴らしいと思う。

近隣には道の両側に櫻木が植わっていて満開の花のトンネルのように続いている処があります。昨日までは花々が盛り上がるように密集していたのですが、今日はもう散り始めていました。風に舞う優雅な花吹雪と花びらの絨毯が敷き詰められる日も近いでしょう。

花の命は短いですが、また来年の櫻が楽しめるように元気でいたいと思います。

  
  

写真 遣唐使船

2010-04-02 14:42:00 | Weblog
カメラ散歩

 「遣唐使船」

遷都1300年で奈良は色々賑わっています。
平城宮跡では、遣唐使船の復元作業が着々となされています。
先日奈良からの帰途、近鉄新大宮と大和西大寺間の車窓から撮った一枚です。
遠方からの流れる映像で不鮮明ですが、朱雀門界隈の作業風景は今しか見られません。 
4月下旬完成の遣唐使記念館で公開されると聞いています。

遣唐使は630年~894年(平安時代の後期、菅原道真の建議により収束)の間、
当時の先進国・唐の文化と東アジアの情勢を入手する目的で16回前後派遣されました。
厳選された沢山の優秀な人物がこの遣唐使船に乗って往来したとのことですが、命がけの
航海でした。 
船は長さ30m、幅8m前後、帆柱2本で平底箱型で鉄釘はなく平板をつなぎ合わせた
粗末な造作で、季節風など知識や航海術の未熟さもあって往路や帰路に難破が続出し
多くの優秀な人材が帰国を果たせなかったことを想えば国造りの大変さが身に沁みます。
危険な航海の中、唐の先進文化をもとめて入唐し、無事帰国した遣唐使の命がけの
苦心と努力のお蔭で今日の日本の文化の基礎が形成されたことを忘れてはならないと
思います。

山上憶良、吉備真備、最澄、空海などみんな苦労をしての入唐だったことでしょうか。

日本に仏教の戒律を施す為、何度もの難破にもめげず失明してまで来日された鑑真和上の
ことを思うとなんと有難いことでしょう。

難破して望郷の思いを抱きながら唐で亡くなった阿倍仲麻呂の歌を思い起します。
  
   天の原 振りさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも