今日は岐阜県公立高校の一般受験が行われている。
3年前、うちの長男も特色化選抜で結果が出ず、
2度目のチャンスにトライしたのだが・・・・・
実は、「一般受験」ではなく「帰国子女枠受験」をさせてもらったのだった。
岐阜県の公立高校では
定員とは別に「帰国子女枠」というのを「若干名」設けている。
受験する資格があるのは
「海外で2年以上生活し、帰国後2年以内の者」
長男はロンドンで4年過ごし、帰国して1年が経っていた。
まさにこの条件に当てはまる。
受験科目は
「国語」、「数学」、「英語」
それに
「小論文」と「面接」が行われる。
現地校に通っていた長男は
日本の科目を殆ど勉強していなかったので、
理科と社会がないのは非常に助かる。
ただ、こういう受験方法があることは、ギリギリまで本人に伏せていた。
何故なら、帰国枠があることを話すと、
ああいう性格なので、理科社会を勉強しなくなってしまうからだ。
1月に入ってからの懇談、
私は本人のいない席で、担任の先生に
「帰国枠を積極的に使いたい。」と、打ち明けた。
先生は
「僕が受け持った生徒で帰国枠を使う子は初めてですが、
教育委員会に聞いて準備します。」
と言って下さった。
「ただ、特色化選抜が終わるまでは、
本人には一般受験をするのだと言っておきましょう。」
先生はそう約束してくれた。
帰国枠受験を申請するためには
現地校での成績証明や在学証明書などの書類が必要になる。
実は帰国する時に、こういうこともあるかもしれないと
書類を揃えておいたのだ。
特色化が終わったとき、私は長男を呼び、
帰国枠で受験することを初めて告げた。
「受験科目は、英数国、それに小論文と面接」
それを聞くと、長男は
「やったー!俺、超ラッキーじゃねぇ?」
もう、理社をやらんでいいんだよね。?」
と、有頂天。
「・・・・・でも、帰国枠使うって、なんで最初から言ってくれんかったの?」
「そんなことをしたら、君が理社を全く勉強しなくなるのは目に見えているでしょ。
勉強してないと、高校に入ってから困るのよ。
それに、3科目だけだっていっても
小論と面接があるからね。
担任のM先生が特訓するそうです。」
「えー!マジかよ~!」
次の日からM先生の特訓が始まった。
先生は長男にテーマをいくつか与えて文章を書かせ、
誤字脱字を直し、書けない漢字を書かせ、
文法的におかしいところを添削してくださった。
面接の練習もして下さった。
そして本番の日。
長男の受験番号は2001番。
帰国枠で受けるのは一人だけだった。
みんなと離れた教室に用意された机とイス。
試験官の先生が一人同席する中、問題を解く。
休み時間に、同じ中学の子と廊下で談笑することはできたが、
他の生徒達から
「ねぇ、あそこで一人だけ受けてる子、誰?」
みたいな視線を感じたそうだ。
午後は小論文と面接。
小論文では、
なんと、M先生が与えて下さったテーマの一つが
そのままではないが、殆ど同じ意味のものが出題されていたそうだ!
「これだったら俺にも書ける!」
リラックスして書くことができたそうだ。
面接でも、先生と練習した時の質問が似通っていて
落ち着いて答えることができたそうだ。
ただ、一人の面接官が
「我が校の運動部で、一番活躍しているのは何部か知っていますか?」
と聞いてきて、
これには長男、
「すみません、分かりません。」
と、正直に言うしかなかったそうだ。
そして合格発表の日、
一般受験の発表掲示板からちょっと離れたところに、
帰国生徒等に係る入学者選抜
2001番
長男の番号が張り出されていた。
合格できてホッとしたが、
あとで、当日の点数を聞きにいって愕然とした。
国語が悪いのは仕方がないと思っていたが、
得意の英数でも点数は伸びていなかったからだ。
これで一般受験だったら、確実に落ちていただろう。
滑り込ませてもらって本当に感謝している。
当時、長男の合格を決めて下さった先生方、
3年後に大学受験で学校に貢献したということで
借りをお返ししたと見なしていただけないだろうか・・・・(汗)
3年前、うちの長男も特色化選抜で結果が出ず、
2度目のチャンスにトライしたのだが・・・・・
実は、「一般受験」ではなく「帰国子女枠受験」をさせてもらったのだった。
岐阜県の公立高校では
定員とは別に「帰国子女枠」というのを「若干名」設けている。
受験する資格があるのは
「海外で2年以上生活し、帰国後2年以内の者」
長男はロンドンで4年過ごし、帰国して1年が経っていた。
まさにこの条件に当てはまる。
受験科目は
「国語」、「数学」、「英語」
それに
「小論文」と「面接」が行われる。
現地校に通っていた長男は
日本の科目を殆ど勉強していなかったので、
理科と社会がないのは非常に助かる。
ただ、こういう受験方法があることは、ギリギリまで本人に伏せていた。
何故なら、帰国枠があることを話すと、
ああいう性格なので、理科社会を勉強しなくなってしまうからだ。
1月に入ってからの懇談、
私は本人のいない席で、担任の先生に
「帰国枠を積極的に使いたい。」と、打ち明けた。
先生は
「僕が受け持った生徒で帰国枠を使う子は初めてですが、
教育委員会に聞いて準備します。」
と言って下さった。
「ただ、特色化選抜が終わるまでは、
本人には一般受験をするのだと言っておきましょう。」
先生はそう約束してくれた。
帰国枠受験を申請するためには
現地校での成績証明や在学証明書などの書類が必要になる。
実は帰国する時に、こういうこともあるかもしれないと
書類を揃えておいたのだ。
特色化が終わったとき、私は長男を呼び、
帰国枠で受験することを初めて告げた。
「受験科目は、英数国、それに小論文と面接」
それを聞くと、長男は
「やったー!俺、超ラッキーじゃねぇ?」
もう、理社をやらんでいいんだよね。?」
と、有頂天。
「・・・・・でも、帰国枠使うって、なんで最初から言ってくれんかったの?」
「そんなことをしたら、君が理社を全く勉強しなくなるのは目に見えているでしょ。
勉強してないと、高校に入ってから困るのよ。
それに、3科目だけだっていっても
小論と面接があるからね。
担任のM先生が特訓するそうです。」
「えー!マジかよ~!」
次の日からM先生の特訓が始まった。
先生は長男にテーマをいくつか与えて文章を書かせ、
誤字脱字を直し、書けない漢字を書かせ、
文法的におかしいところを添削してくださった。
面接の練習もして下さった。
そして本番の日。
長男の受験番号は2001番。
帰国枠で受けるのは一人だけだった。
みんなと離れた教室に用意された机とイス。
試験官の先生が一人同席する中、問題を解く。
休み時間に、同じ中学の子と廊下で談笑することはできたが、
他の生徒達から
「ねぇ、あそこで一人だけ受けてる子、誰?」
みたいな視線を感じたそうだ。
午後は小論文と面接。
小論文では、
なんと、M先生が与えて下さったテーマの一つが
そのままではないが、殆ど同じ意味のものが出題されていたそうだ!
「これだったら俺にも書ける!」
リラックスして書くことができたそうだ。
面接でも、先生と練習した時の質問が似通っていて
落ち着いて答えることができたそうだ。
ただ、一人の面接官が
「我が校の運動部で、一番活躍しているのは何部か知っていますか?」
と聞いてきて、
これには長男、
「すみません、分かりません。」
と、正直に言うしかなかったそうだ。
そして合格発表の日、
一般受験の発表掲示板からちょっと離れたところに、
帰国生徒等に係る入学者選抜
2001番
長男の番号が張り出されていた。
合格できてホッとしたが、
あとで、当日の点数を聞きにいって愕然とした。
国語が悪いのは仕方がないと思っていたが、
得意の英数でも点数は伸びていなかったからだ。
これで一般受験だったら、確実に落ちていただろう。
滑り込ませてもらって本当に感謝している。
当時、長男の合格を決めて下さった先生方、
3年後に大学受験で学校に貢献したということで
借りをお返ししたと見なしていただけないだろうか・・・・(汗)