とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

三浦半島 油壺 新井城跡

2014-11-15 23:31:12 | 三浦半島ハイキング
油壷の地名の由来は
戦国時代の武将、北条早雲と三浦道寸義同との
新井城での戦いが起源だそうです。

三浦道寸義同は、北条早雲を迎え撃つため一族と共に新井城に立て籠もりましたが、
3年に及ぶ篭城戦の末、城は落ち、
道寸も敗死しました。
この時の凄惨な戦で湾が血に染まることとなり、
あたかも油を流したかのような様であったことから、油壷と呼ばれるようになったとか。

それまでは新井壺とでも呼ばれていたのでしょうか。
波のない穏やかな湾では、有り得る事のような気もします。

これが空堀で、ここから先が新井城の本城と思われる場所です。


新井浜から本丸を見る。


二の丸は油壷マリンパークのあたりで、
二の丸から海側に下ったところに三浦道寸の墓があります。
この墓は江戸時代に三浦一族の後裔に当たる人が建てたものだそうです。
 


導寸の辞世の句

討つものも討たるるものもかわらけよ
砕けて後はもとの土くれ

この句は小学生向けの「学習漫画日本の歴史」の中でも紹介されていました。

このような無常観を詠うのは、当時の一般的な感性のようで、
周防の大内義隆の辞世の句も同じようなイメージです。

討つ人も討たるる人ももろともに
如露亦如電応作如是観(にょろやくにょでんおうさにょぜかん)

辞世の句というのは、いつごろから始まったものなのでしょうか
武将が討ち死に覚悟の最後の一戦に臨む時に辞世の句を詠むという慣習は
太平洋戦争のころまであったようですね。

三浦半島 三崎港から油壺、小網代の森へ

2014-11-15 21:05:14 | 三浦半島ハイキング
諸磯湾から富士山を見る。
今日も三崎港から歩き出しました。

油壺突入。

油壺は本当におだやかな湾ですね。
ヨットの停泊地には最高です。
今も、一艘のヨットとシーカヤックが湾から出ていくところでした。

新井浜から油壷マリンパークの裏の海岸を歩き、
新井城跡の岬を海岸沿いにぐるりと周ります。


このコースはやはり油壺からがメインと言えますね
美しい湾です。なんだか伊勢志摩のあたりのような感じもします。

東大臨海実験所のあたりの新井浜から相模湾を見ると
海の向こうに、湘南の丘陵、丹沢、富士山、伊豆の山々、大島の三原山が続いており、
相模湾を挟んで山がぐるりと取り囲んでいるように見えます。
相模湾がなんだか大きな湖のように感じます。

ここがこんなに雄大な景色だったとは、再発見でした。


小網代の森は、私が住んでいる所の昔の風景のようでもあり、
懐かしいような気もします。
しかしここは、すぐそばに海があります。



この小さな干潟がまた魅力です。
私が着いた時は引き潮で、
みるみる潮が引いていきました。
干潟の生き物の巻貝と小さな蟹は、潮が引くやいなや穴から這い出し
盛んに動き回っています。
干潟とは、こんなにもダイナミックに躍動しているものなのかと驚きました。


やはり、なにごとも自分の目で見てみないとわからないものですね。

小網代の森を後にし、相模湾を見ると一段とスケールの大きな眺めが広がっています。

こんなにも雄大な景色が見られるとは思いませんでした。
今日はもう十分満足したので、このまま三崎口駅に向かいました。
15時20分着