とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

頼朝の名馬 生喰(いけずき)と 磨墨(するすみ)大田区洗足池、馬込あたり

2022-02-12 18:12:17 | 東京散歩
秦の始皇帝は、優秀な騎馬軍団を用いて中国初の皇帝となった。

漢の武帝が西域を攻略した目的は、大苑の汗血馬を得るためだったとも言われている。

武帝の漢詩

西域天馬歌
天馬来る  西極よりす
万里を経て 有徳に帰す
霊威を承りて 外国を降す
流沙を渉りて 四夷服す

関羽雲長は天下無双の武将であったが、赤兎馬という名馬を手に入れたことから、鬼に金棒的な活躍ができたと三國志は記している。

かように古代における馬の威力は絶大であった。
と、前置きが長いが

先々週、頼朝所有の名馬生喰(いけずき)のことで港北区鳥山の馬頭観音を訪れた。
生喰を輩出した地は、ここがそうなのだという所がいろいろ伝わるようだが、名馬を生んだ産地ともなれば、その地の馬の商品価値が高くなるので、われもわれもとなったのだろう。その中でもわりと本当っぽいのが、大田区のあたりだ。
伝承地である洗足池へ行ってきた。



立派な像もある。名前も池月で、洗足池らしい当て字になっている。


ところで、頼朝の御料馬で1番は生喰だが2番目とされたのは磨墨(するすみ)という馬であり、宇治川の戦いで佐々木高綱と先陣争いをした梶原 景季が賜ったとされている。
やはり磨墨もこの地の馬込と関係があると伝わるようだ。

馬込の磨墨塚(南馬込3-18-21)


梶原景時が開基と伝わる萬福寺(南馬込1-49-1)
梶原景時の墓

磨墨(するすみ)像

近くには源氏と関わりの深い旗岡八幡宮(旗の台3-6-12)がある。

源頼信(頼朝のご先祖様)が平忠常の乱平定のため下総へ赴く際にこの地に宿営し、源氏の氏神である八幡宮を祭り、戦勝祈願したとされる。
頼朝にとっては縁起ものの神社なので、この地の名馬を自分用の馬としたというのも、つじつまが合う。


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