新宿駅23時55分発長野行き、
通称2355列車と呼ばれ、登山者に親しまれていた夜行列車だ。
なつかしく思う方も多くおられることだろう。
まだ新宿駅にアルプスの広場があったころのことだ。
北八ヶ岳の天狗岳へ、
この鈍行の夜行列車に乗って出かけたことがあった。
夜行電車に乗ったのは、この時が初めてであった。
こんなに遅い時間の電車は、
混んでいても最悪通路にでも座れるのではないかと軽く考えていたのだが、
出発の時間が近づくにつれ、どんどん乗客が乗り込んでくる。
しまいには通勤電車と変わらない満員状態となってしまった。
それでも八王子あたりで空くのではないかと期待したのだが、
とうとう目的地の茅野駅まで立ちん坊のままであった。
昔の長距離電車は、たばこは吸い放題、
夜遅い電車とあって酔っ払いも乗り込んでくる。
茅野駅に着いたころには(5時37分着)いい加減疲れはてていた。
登山客は今では考えられない人数だった。
渋の湯行のバスは何台も臨時便が出発し、
私が乗ったバスなどは、
普段は車庫にしまい込まれているのではないかと思われるボンネット型のバスであった。
さすがに当時でもそんなバスは、もう見たことがなかった。
それへ満員のお客と目いっぱいの荷物(リュックサック)を詰め込むのである。
急な坂では、バスのエンジンがうなり声をあげていた。
天狗岳は2645mで、私が初めて登った高山だった。
コイワカガミの可憐な花に黒百合平の黒百合が今でも忘れられない。
当時の北八ヶ岳の森は、今よりよほど苔が多かったように思う。
若いころに登った山は、強く印象にのこっている。
特に天狗岳は自分の登山の原点となった山だ。
それにしても親はよく、
当時まだ中学1年だった自分と、
同じく中学2年だった兄との、二人きりの登山を許したものである。
通称2355列車と呼ばれ、登山者に親しまれていた夜行列車だ。
なつかしく思う方も多くおられることだろう。
まだ新宿駅にアルプスの広場があったころのことだ。
北八ヶ岳の天狗岳へ、
この鈍行の夜行列車に乗って出かけたことがあった。
夜行電車に乗ったのは、この時が初めてであった。
こんなに遅い時間の電車は、
混んでいても最悪通路にでも座れるのではないかと軽く考えていたのだが、
出発の時間が近づくにつれ、どんどん乗客が乗り込んでくる。
しまいには通勤電車と変わらない満員状態となってしまった。
それでも八王子あたりで空くのではないかと期待したのだが、
とうとう目的地の茅野駅まで立ちん坊のままであった。
昔の長距離電車は、たばこは吸い放題、
夜遅い電車とあって酔っ払いも乗り込んでくる。
茅野駅に着いたころには(5時37分着)いい加減疲れはてていた。
登山客は今では考えられない人数だった。
渋の湯行のバスは何台も臨時便が出発し、
私が乗ったバスなどは、
普段は車庫にしまい込まれているのではないかと思われるボンネット型のバスであった。
さすがに当時でもそんなバスは、もう見たことがなかった。
それへ満員のお客と目いっぱいの荷物(リュックサック)を詰め込むのである。
急な坂では、バスのエンジンがうなり声をあげていた。
天狗岳は2645mで、私が初めて登った高山だった。
コイワカガミの可憐な花に黒百合平の黒百合が今でも忘れられない。
当時の北八ヶ岳の森は、今よりよほど苔が多かったように思う。
若いころに登った山は、強く印象にのこっている。
特に天狗岳は自分の登山の原点となった山だ。
それにしても親はよく、
当時まだ中学1年だった自分と、
同じく中学2年だった兄との、二人きりの登山を許したものである。