人生アラカルト

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京都の町家そして坪庭③

2022-11-18 17:52:52 | ここも京都 
金沢の高校3年の時、大学受験
に失敗。下宿したのが前に住ん
でいた家の隣で京町家だった。

京都の朝は早い。
いつもおばさんが台所で鳴らす
下駄の音が隣人をも起こす、リ
ズミカルな「カタカタ」という
音だった。

京都にいたとき、住んでいたの
は「北野白梅町」という素敵な
町名がついていた。白梅町という
からには当然「紅梅町」もあっ
た。(現在も同じ)

北には左大文字があり、近くに金
閣寺が建っていた。

北野白梅町には嵐電が市電の西大
路通りを乗り越え、北野大神宮ま
で電車を走らせていた。(後に嵐
電の終着駅は北野白梅町で打ち切
られる)

私は戦後小学校5年生の時、舞
鶴市から京都市へ移った。

学校は国民学校から小学校と変わ
る。教育の内容も軍事教育からア
メリカ主導の民主主義教育と移行
する。


京都の小学校の校名は「大将軍」
とすごい校名がついていた。

父親は戦時中旧制の中学校長を
していたが、戦後に移ってから
京都の新制高校の校長になる。
軍事教育から民主教育へと展開
したのだった。

世の中、なにかも大転換した。
(話がえらいところへ行ってし
まった)






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