クリスマスイブ、友人と3人で出かけた汐留で、早目の夕食を済ませました。
汐留カレッタ の中のレストラン、イブとあって、どこも予約でいっぱい。
何とか電話で席を確保した 「bois bois(ボワボワ)」で、「かんぱーい!」 は、なんと、まだ夕方の17時。
このほか、前菜はバイキング形式で、好きなものを好きなだけ。
美味しく、楽しく、でも、ちょっと時間を気にしながら・・・
なぜかというと・・・
劇団四季のミュージカル 「マンマ・ミーア!」 (18時30分開演) を観るためでした。
期待通りに、最高に楽しい舞台。
入場の時に配られた 緑やピンクのサイリューム を振り、全員参加のフィナーレ。
何度も繰り返されるカーテンコールに、歓声や拍手がいっぱいでした。
何回目かの「メリー・クリスマス!」で、幕が閉じられました。
余韻が残ったまま、劇場を出て、そのまま「汐留カレッタ」のB2階に下りると・・・
そこには、見事な 「BURUE OSYAN 海のプレミアムイルミネーション」 が。
長~い行列は、約束のツリーの中に入るための人たち。いいことあるといいね。
音楽に乗って、刻々と変化するイルミネーションに、私も、青く染まっています。
思えば、去年は、夫が緊急入院した病院でのクリスマス。
入り口に見事に飾られたイルミネーションで、癒されたものでした。
命の危険がなくなり、ほっとした気持ちを、明るい光が包んでくれたのでした。
直通エレベーターで46階展望台に上り、見下ろしたのは、人工的な灯りに彩られた夜の東京。
緑の少ない東京も、夜景はキラキラと、美しく輝いています。
真下に見える築地市場の暗さに、却って感動を覚えたり・・・
しょっちゅう会っている私たち、クリスマスイブにこうして会うのは、実は初めて。
それぞれの子供が大人になってきて、家族の集まりがイブより前だったりあとだったりに。
母としても、自由に時間が作れるようになりました。
今日25日は、娘のお誕生日。
なのに、主役の都合により、明日、1日遅れのお祝いをします。
まぁ、歳をとるのが、1日でも遅いほうがいい・・ そんな歳になりました。
葵も、お祝いに来てくれています。
<2008年クリスマスの 葵>
葵、明日のパーティーも、一緒にいてね。
そんな噂がありました。
夫も、2匹連れを、1度だけ見たことがあると言っていました。
半信半疑の私でしたが・・・
本当でした。
朝、夫が、近くの公園で携帯に、その姿を写真に収め、得意げに見せてくれました。
いっぱいに拡大して、やっと判別。 「ほんとだー!」
コロコロしていて、とっても可愛い。
近づくと、同じくらい離れて、やがて、振り返りながら、去って行ったそうです。
聞けば、タヌキ、東京の繁華なところにも、結構いるらしいのです。
でも、こんなに身近に生活しているなんて、なんだか、楽しい。
どんな風に暮らしているのかなぁ・・・??
タヌキのおうちのタヌキの家族、ちょっぴり、覗いてみたい気がします。
今日、用事のついでに、外をゆっくり歩いてみました。
通りから、ちょっとわき道に入りました。
春まで、葵と、いつもお散歩していた路地。
レンガの塀があり、幼稚園が見えて・・・
普通に歩いていただけなのに、いきなり涙が頬を伝わりました。
突然のことに、自分でびっくり。
そっと周りを見回したら、幸い、だーれもいませんでした。
葵の、医療の記録。
お金もいっぱいかかりました。
でも、それ以上に、葵の頑張りがいっぱいいっぱい詰まっています。
何度も手術を受け、お薬を飲み、注射をし、こんなにたくさん治療をしてきた葵。
それでも、いつもニコニコと私たちを見つめてくれた葵。
最期の、さすったお腹の温かさが、蘇ります。
3月20日に葵が旅立ち、9ヶ月が過ぎていきました。
11歳7ヶ月、やっぱり、お別れには早すぎた気がして・・・
でも、きっと、生まれたときに神様に決められていた寿命だったのでしょう。
今は身軽になって、毎日、あちらとこちらを行ったり来たり。
話しかけると、ちゃんと、返事もしてくれます。
何かある度に、力を貸してくれます。
ギリシャにも、軽井沢にも、京都にも、一緒に行ってくれました。
毎朝、「おはよー」 といってくれる葵。姿が・・・ ありません。
当たり前だけれど、9ヶ月経った今でも、寂しさは薄れません。
でも、あの時の辛さ、悲しさは、不思議と、遠い世界のことのように感じられるのです。
今は、葵の優しげな笑顔だけが、私の心の中に溢れています。
もうすぐ今年が終わります。
命あるもの、限りがある・・・ 分かりきっていることです。が・・・
従兄弟が、突然、旅立ちました。 私よりたった4歳年上という若さでした。
仕事中のくも膜下出血。
病院に救急搬送された時には、すでに、心肺停止状態だったそうです。
駆けつけた姉妹に、お別れの言葉もなく、静かに逝ってしまいました。
生涯を独身で通した、背が高く、イケメンの、気の優しい人でした。
彼の兄や姉や妹が葬儀を執り行い、大勢に見送られ、ひとり、旅立っていきました。
4人の、仲の良い兄弟姉妹。
集まった時など、弟とふたりきりの私は、4人もいていいなぁ、と、いつも思ったものです。
彼は、1級建築士・技術指導員であった私の父の弟子となり、修行をし、独り立ちした人。
一時、我が家に下宿していたので、母も、食事の面倒を見たりして、可愛がっていました。
最期は、誰の手も煩わせず、潔く逝ってしまった従兄弟。
きっと、自由で、素敵な人生を送ったのだろうな・・・
あちらで、父が、甥でもあり弟子でもある彼を、「おう、来たか」 なんて、迎えているように思います。
積もる話、なんていうのをしているでしょうか。
今日も、穏かな師走です。