羽後町が生んだ最も偉大な人物は、江戸時代後期の経世学者「佐藤信淵(のぶひろ)」でしょう。
生誕地は羽後町の西馬音内説と郡山説があり、以前は生誕地争いがありましたが、今では同じ町内なので争いは治りました。
佐藤家5代の家学と称して、経済、農学、鉱山学、兵学などに通じ、父信季(のぶすえ)と共に全国を行脚し、全国各藩や幕府にも重用されたと言われています。
秋田県民歌にも平田篤胤と共に郷土の偉人として謳われています。
太平洋戦争前には、軍部によって「大東亜共栄圏」構想を提唱したとして佐藤信淵の名が使われ、戦後その業績に疑問が投げかけられた事もありました。
信淵直筆本も「農政本論」など幾つかが所蔵されており、町コミュニティセンター前には顕彰碑が建立されています。