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波打ち際の考察

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波屋山人

薄毛差別解消運動

2009-12-27 03:23:24 | Weblog
NPO法人「薄毛差別解消運動」は別名「CADB Japan」と言う。
世界的反ハゲ差別団体であるCADB(a Campaign Against Discrimination to the Baldness)の日本支部として活動しているからだ。

彼らは困難な道をたどってきた。
差別者に対して「嫌がることはやめてくれ」と言っても笑われるだけ。
テレビ局や出版社に抗議文を送っても、まともに取り合ってもらえなかった。
どんなに傷ついても、その気持ちはわかってもらえなかった。

メディア関係の人や司法関係の人は、その時代に支配的な価値観に合わせて行動する。
戦争中はさんざん戦争を煽り、反戦運動が盛り上がれば反戦運動を煽り、非喫煙者が過半数を超えれば喫煙者を迫害するような報道を平気で行う。
彼らは弱い者の見方ではなく、その時代の常識に忠実な人たちなのだ。

そのむかし、被差別民やスラム街の朝鮮人労働者を敬遠してバカにしたように、今だってハゲた人や天然パーマの人、肌のブツブツしている人や太った人を見下し、笑いの対象にしている。
自分の意志ではどうにもならないことなのに、いじめられて自殺に追い込まれた人もいる。

差別している人は無自覚で、からかって楽しいのかもしれないけど、薄毛や癖毛、肌荒れや肥満体質に悩んでいる人にとってはとても心傷つくことなのだ。

かつて明治維新以降、西欧の民主主義の思想が入ってきて運動が盛り上がったとき、一般の人々の被差別民に対する姿勢は厳しいものだった。
汚いものは洗っても汚いのだ、と言い放つ人もいた。

戦後、男女同権の考え方が都市住民を中心に広まったときも、一般の人々の職業婦人に対する視線には厳しいものがあった。
女性は家庭を守るのが当然だ、と信じて疑わない人が多かった。

日本ではこの100年間、人々がストレスを抱えないで生きていけるように、さまざまな差別的構造が問題視され、解消されてきた。
だけど、いまだに社会問題として認められていない差別的構造は多い。

年齢差別、犯罪者差別、学歴差別、容姿差別、等々。
確固とした根拠はないのに、その時代に支配的な価値観によって、肯定されるものと否定されるべきものが分けられる。
差別的構造の存在が知られていても、文句を言う人が出てこなければ、社会秩序を維持するために有益な価値観として維持されていく。
かつては女性差別や特定差別の問題も黙殺されている時代が長かった。

むかしは考え方が遅れていたから女性差別や差別なんかがあっったんだよ、と知ったようなことを言う人は、その言葉を胸に刻んでおいてもらいたい。

薄毛差別解消運動は、あなたがたを潜在的犯罪者であると認定する。
ここで言う犯罪者とは、特定の国の法律に基づいた判断ではない。
この社会の過去と現在の価値観の変遷を研究した結果、将来的にあなたがたの行為が、法的に犯罪であると認定されることを予測している。

やがてハゲやデブやチビといった言葉は、ビッコやツンボといった語と同等に、差別語として認識されることだろう。

薄毛差別解消運動、CADB Japanは、先鋭的な行動を展開していく予定だ。
私は差別者差別につながる反差別運動に関わるつもりはないが、差別論研究者として、薄毛差別解消運動、CADB Japanを支援していくつもりだ。
全国の悩める薄毛障害者たちよ、胸を張って行動しよう。

自分たちが笑われるのを当たり前だと思い込むのは、差別者と同じ価値観に染まっているからなのだ。
かつて、被差別民の人たちは、飢饉などによって生命の危険がおかされない限り、差別者に対する抗議行動を起こさなかった。
現在の私たちは、価値観とは何か、社会秩序とは何か、などといったことを分析し行動することができる。
ハゲ差別は差別問題であると、堂々と主張できるはずだ。


追記
ぼくもいい歳になって、髪の毛のコシが失われてしまった。
同期の男も何人か地肌があらわになってしまった。
弟ですら、額の広がりを気にしている。
ハゲたらどうしようかという妄想がこんな一文を書かせてしまった。
薄毛差別解消運動、CADB Japanという団体は架空の団体。
もし、このような団体があったらぼくも協力させてもらおうと思うけど、ぼくは差別者を批判することには興味がない。
(ひとむかし前の、マルクス主義に影響を受けてそれ以上進んでいない人は、喜んで差別者叩きに参加するかもしれないけどね)

差別者をとがめるより、差別者として批判される表現者を守るほうに興味がある。
編集者は本来そういう立場にいる必要があるのではないかと思っている。
だけど、出版やテレビの世界には、差別語の専門家はおそろしく少ない。

知識がなく、論理もないから、言いがかりのようなクレームにも腰砕け。
ほとんどの編集者たちは、表現者を守るために体を張ったりはしていない。一般人からのクレームが怖くて、事なかれ主義で執筆者の原稿を勝手に書き換えたりしている。
それでも表現者の表現を支えるプロか、と言いたいけど、優秀なサラリーマンは問題を回避することを重視するのだ。

きちんと知識さえあれば、「バカチョン」や「シナ」、「メクラ」や「ビッコ」ですら本来は差別的な語ではない、差別的に使われないように指導することが大事だ、と論理的に説明できるはずだけど、知識がないから世の中に支配的な常識におもねっているのが現状だ。


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1 コメント

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ありがとうな!!!! (アゲチン)
2009-12-29 11:17:34


アドバイス通りにキュウリやめて人参を挿入したら、
例の潮.吹 き女が何回もイっちゃってチ.ンコ全っ然離さねーの!!!
しかもマン汁つゆだくで痙攣しながら10万くれたぞv(。-_-。)vブイッ♪
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