波打ち際の考察

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波屋山人

中央公論新社社長に大橋善光氏

2014-06-01 22:11:35 | Weblog
先月末、中央公論新社に新社長が就任、というニュースが流れた。
親会社の読売新聞社から編集局長が移ってきたらしい。
名前や経歴を検索すると、どうも知り合いの知り合いのようだ。
昨年度まで、知人と同じ時期に同じ組織で同じ役職についていた。
どのような人なのか、週末知人に会ったら聞いてみよう。

https://www.bunkanews.jp/news/news.php?id=14937
■中央公論新杜、新社長に大橋善光氏内定 小林社長は取締役会長
2014.05.29
中央公論新社は5月28日、決算取締役会を開き、取締役会長に小林敬和代表取締役社長、代表取締役社長に大橋善光読売新聞東京本社専務取締役編集局長、常務取締役社長室長・労務・総務担当に石井一夫読売新聞大阪…(略)


新社長の経歴を見てみると、大橋善光(おおはしよしみつ)さんは、1954年6月生まれ。1978年読売新聞社入社、静岡支局、浜松支局などを経て、1984年読売新聞東京本社経済部、1996年経済部次長。2000年メディア戦略局開発部長、2003年編集委員、2005年グループ政策部長を経て、2007年6月から経済部長。取締役広告局長や編集局長も歴任。。。
読売新聞の中枢を担ってきた人。


中央公論社といえば、最近は社員が150人くらいしかいないようだけど、業績は堅調のようだ。
文芸出版でもなく、雑誌出版でもなく、マンガ出版でもなく、辞書出版でもなく、経済出版でもなく、何が主力なのかわからないけど、それでも黒字を続けているのはこのご時勢、たいした経営感覚だと思う。
(注:その後、赤字に転落したことが判明)

ただ、中央公論新社といえば、少し気になることがある。
保身的な態度や、経済的利益優先の姿勢がみられないだろうか。

私の尊敬する伝説的言語学者に、Kという人がいる。
彼は、トルコの少数民族の言語に関して調査を続ける中で、たいへんな目にあったことを、1冊の本にしたためた。言語学、旅行、冒険、異文化交流、さまざまな要素の入った『トルコのもう一つの顔』(中公新書)は、多くの人に注目された。

だが、この本は、中央公論新社の編集者によって、全面的に書き直しをさせられている。
過激な表現を、当たり障りのないおとなしい表現に変えさせられたのだ。
著者の個性や意思が尊重されていない。

私には、編集部の人に見識があってのことだとは感じられない。
残念ながら、表現者をサポートしようという気概のある編集者は少数派だ。
面倒なことを避けるために、表現を安易に変えようとする人が多い。

中央公論新社の編集者は、文学や芸術の立場に関してどのように考えているのだろう。
学者や芸術家が一般人から批判を受けた場合、表現者の立場から守ろうとする気概はあるのだろうか。

中央公論新社の新社長は経済記者出身なのかもしれないけど、芸術や文化、思想などに関して、表現者をサポートする姿勢を忘れないでいただきたいと思う。


また、中央公論新社は、エロ・グロ・ナンセンスに手を出さず、詐欺的な人やオカルト的な人の本を出していなかったから、信頼性の高い出版社だと認識している人も多い。

しかし、どうも経歴の不可解な人の本も出しているようだ。

中央公論新社は、はやりのアンチ韓国本、ネガティブ韓国本の類を出していないが、逆に、韓国から見た歴史観を宣伝するような本は出している。
なかなか興味深い本なのだが、著者の韓国人の経歴が不可解。

早稲田の校友会に属している人は、早稲田大学に1950年前後に入学し、1955年前後に卒業したと思われる、金両基という人の記録を確認してほしい。
(校友会に属していないと卒業生に関する資料を見ることができない)

おそらく、第一文学部(定員400人、昼間)か第二文学部(定員250人、夜間)で、演劇を学ぶコースに在学していたと思われる。
本のプロフィールには「早稲田大学文学部卒業」としか書いていないので、第一文学部卒業なのか、第二文学部卒業なのか不明。そもそも卒業しているのかどうか未確認。

また、カリフォルニア・インターナショナル大学で博士号を得たことになっているが、
どの資料を見ても、カリフォルニア・インターナショナル大学にドクターコースがあったことは確認できない。

英会話学校としての実態はあるが、大学としては非公認。アメリカの教育省にもカリフォルニア州にも大学としての登録はない。
日本の大学や、英語教育に関わる機関で、「カリフォルニア・インターナショナル大学」あるいは「カリフォルニア国際大学」を正式な大学として認めているところはないだろう。

インターネットの発達していなかった時代は、審査も甘く、非認定大学の学位を肩書きとして大学教員の職を得る人もいたが、現在ではそのようなことは見過ごされない。

不思議なことに、中央公論新社は、非認定大学でないという根拠を見出すこともできないのに、金両基さんの本を博士が書いた本として販売している。

もし、正式な博士でもないのに博士を名乗り、高度な知識があるように装って言論活動を行っているのであれば、法に触れる可能性がある。
「博士号を持つ見識ある人の本だと思って買ったら、学問的視点に欠ける一方的な史観の本だった。騙しに遭ったから返金を要求する」と言えば、中央公論新社はどのように対応するのだろうか。
些末なことだが、出版業界の健全化のために、大橋善光社長にはそういったこともご留意いただければ幸いだ。



「弁護士ドットコム」というサイトには、下記のような質問&回答があった。
  ↓
http://www.bengo4.com/shohishahigai/1082/1186/b_227620/
■ディプロマミルの学位を自身の権威付けに利用する行為
<質問>もりの丘さん
健康食品本や能力開発本の監修者等が、自身発言に重みを持たせるため等の理由で、
学位と呼ぶに値しないお金で買える怪しい大学の博士号等を自身のプロフィール等に
載せる行為は、何らかの法律には抵触しないのでしょうか?
「○○の世界的権威 医学博士・理学博士・薬学博士 山田太郎 監修」等
参考
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/024/siryou/04010803/006.htm
2014年01月19日 17時55分
  ↓
<回答>村上 誠弁護士
その肩書を権威あるものと誤信させて、取引に入り、金品を騙し取る結果となるようで
あれば、詐欺罪(刑法246条)が成立するかもしれません。
学位の詐称ということになれば、軽犯罪法違反(1条15号)に当るでしょう。
2014年04月21日 15時15分





■追記(2016/9/24)

『トルコのもう一つの顔・補遺編』(ひつじ書房、2016年)という本が、もうすぐ書店に並ぶ。
機会があり、先日一足先に読むことができた。

これは、『トルコのもう一つの顔』(中公新書、1991年)を書いたときに、中央公論社(当時)の編集長や編集長によって書き換えを余儀なくされたところを、下記のような体裁で書き記した本だ。

p74~75
> 172ページ1行目
> [新書]
> ・・・。物言わぬ民、西部のクルド人にまず言及した私の答え方は意表を衝いていたのだ。
> [草稿]
> ・・・。物言わぬ民、西部のクルド人にまず言及した私の答え方は意表を衝いており、テキは完全に不意打ちを食らったのだ。
> [注釈]
>  「テキ」と「喰らった」が「不可」と判定されました。この辺りまで来ると、こちらも「ああ、またか」と思うようになっていました。「過激」ではなく「下品」だと言いたいのでしょう。何の説明もしないで、「表現OK?」と書き込むだけのやり方には、ほとほと困りました。こちらには、何を問題にされたのか、見当も付かないのです。


中公新書での記載内容と、元原稿を比較し、注釈を加えたという珍しいスタイルの本だ。
編集部が原稿をどのように修正させるのか、といった貴重な資料にもなっている。


著者の講演会には何度か行ったことがある。
先日も、「トルコは、少数民族を合わせると人口の半数を超えている」など、興味深い話が多かった。
中公新書の編集部に書き換えを余儀なくされたことについても触れていたけど、決して編集部や中央公論新社を責めるようなことは口にしない。
敵意も見せないし、とても温厚に、受け答えをされる印象。

だけど、『トルコのもう一つの顔・補遺編』を読めば、中央公論新社の人たちは、気まずい思いをするのではないだろうか。

中公ブランド?があれば、著者にきちんと理由を説明しなくても、論議を呼びそうな表現は削除させることができるのかもしれない。
しかし、会社の上層部や読者から何を言われようとも、問題が無いということを自分が説明して、執筆者を守ってみせる、というような、判断力や信念のある編集者はいないのだろうか。

表現や差別の問題に関心のある編集者であれば、とても残念に感じるだろう。
下記のような部分について、中公新書では今も同じような対応をしているのだろうか。


p35
[注釈]
 この時の自分の激昂ぶりと脅えた署長の尻込みぶりは、昨日のことのように覚えています。オワジュク村で語り草にもなりました。事実をありのままに描写したのです。一冊の本の中にこんな場面が一箇所ぐらいあってもいいと思ったのですが、編集長の判断は違いました。「小島さんの激昂する文章は拙(まず)い」と評価され、「全篇を一から書き直」せと言われました。

p64
[注釈]
 鉤括弧に入れてトルコ人の発言を引用した「虫けら」「泥棒乞食」「尻尾のある」が「不可」とされました。
 「虫けら」と「泥棒乞食」は、初出の時には問題が無かったのです。新書の8ページ9行目に「虫けら」が、129ページ14行目に「乞食泥棒」が、検閲に引っかからずに出ているのです。ここで突然、「不可」というのは解せません。
 なお、「泥棒乞食」は、トルコ人だけではなく多くのヨーロッパ人の口から聞く蔑称で、ロム人を差します。
 また、トルコ人の間には、「クルド人には尻尾がある」という迷信があります。「人間ではない」「家畜扱いが妥当だ」という含みの蔑視と差別意識が根底にあるのです。どうして引用さえも「不可」なのか、小島剛一には理解できません。引用できないのであれば、差別の実態を描写することも出来ません。

p67
[注釈]
 「テキ」という表現が「不可」とされました。他の全ての「過激」「不可」の箇所も同じですが、別の表現で置き換えろと言うばかりで、なぜこの表現ではいけないのかの説明は一切ありませんでした。言葉狩りのことさえも知らなかった浦島太郎は、途方に暮れたものです。

p68
[注釈]
 「飼い殺し」が「不可」でした。理由は、今でも分かりません。



関係ないけど、『トルコのもう一つの顔・補遺編』にはいくつか誤植らしきところがあった。「売春行為」とあるのはおそらく「買収行為」。惜しい。




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2 コメント

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Unknown (京橋区)
2014-10-29 04:55:14
業界では有名なブラック企業だと思いますよ。契約社員だった人が「正社員にならないか」と言われて逃げていました。なぜなら、正社員は30代で年収が400万円に届きません。親会社からしたら自社の社員の3分の1で出版部門をまかなえるのだからおいしいのかもしれませんが、社長がコロコロ変わるところをみると厳しいのかもしれませんね。でも、待遇がここまで悪いとまともな人は入ってこないし、どうしようもないでしょう。
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中央公論社 (小島剛一)
2015-01-17 20:14:21
小島剛一です。

『トルコのもう一つの顔』を出版したのは、中央公論新社の前身の「中央公論社」です。

担当の編集者は原文を尊重しようとしてくれたのですが、当時の編集長の決定で、全面的に書き直すことになりました。「過激な」表現を穏やかなものに変えましたが、筆者の個性は消えていません。

『F爺・小島剛一のブログ』には「過激な」表現もあるという評判です。
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