ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

『高橋尚子 夢はきっとかなう』

2006-07-03 23:35:04 | 本・漫画・映画など
昨秋の東京国際女子マラソンで復活優勝した高橋尚子選手の、感動のドキュメンタリーである。(黒井克行著/学研刊)

本を開くと、最初の薄紫色の見返し頁に「夢はかなう 高橋尚子」と自筆サインが印刷してある。丁寧な、ちょっと弾んだような筆跡である。

「高橋選手の陸上人生というのは、山あり谷ありの連続だった。そして、表にはあまり見えてこないこの『谷』の部分が、高橋尚子というランナーを大きく成長させていく、最も重要な部分となった。
『何がつらいかって、走れないことくらい私にとってつらいことはありません』
高橋選手が故障で走れないでいる時の、心の底からの叫びである。
『たとえ選手生活を終えても、それ以降も市民マラソンや毎朝のジョギングなど、とにかく私は一生走り続けているでしょうね』
この言葉どおり、高橋選手にとって『走ること』は、呼吸や食事や睡眠など人間が生きていく上で欠かすことのできないこととまったく同じなのだ」

アテネの代表キップを手にするはずだった2003年の東京国際女子でのまさかの失速、代表落選¨¨。
2004年夏、アテネオリンピック直前で盛り上がる日本を離れてアメリカ・ボルダーの合宿所で練習を続ける中で、「これからどう生きるのか」という根底的な問題に直面した高橋選手は一人標高3500mのウインターパークへ向かう。

「本当にこのまま陸上をやめてしまっていいのか。その答えを見つけるためにここに来たんです。駆け上がることで見えてくるものがあるのではと」

3日続けて超高地のデコボコ道を24km上がりっぱなしで自問自答するうちに、あっけないほど明快な「答え」がやってきた。
「なんだ、私ってこうやって、走っていることが好き、なんじゃん」
「よし、もう一度走って、また元気な姿をみんなに見せるんだ」

こういう悩んでいる場合の答えは内容よりも、自分自身が本当に心底そう思えるかどうかにかかっているわけで、高橋選手が見つけた答えはまさに彼女自身の答えだったに違いない。

翌2005年5月の小出監督からの「独立」、チームQの立ち上げ、11月には因縁の東京国際女子での優勝。

「しかし、高橋選手にとって、東京国際女子での復活優勝はスタートラインに立っただけにしかすぎないという。
『私にとってのこれまでの東京国際は欠場や失速といった悪いイメージしかなかったので、昨年の優勝で差し引きゼロになっただけのことです。本当の意味での闘いはこれから始まります』
新たな旅立ちとなるこの日、2006年5月18日、チームQのメンバーとともにボルダーに向かう高橋選手の髪は、これまでになく短く切られていた。
高橋選手はボルダーの合宿中は髪を切らないので、旅立つ前に髪を短く切るのはいつもの準備なのだが、今回の彼女の頭は一段と涼しいものとなっていた。
『すべてをさっぱりすっきりさせて、陸上に打ち込むつもりで切りました』
涼やかなショートヘアは、みなぎる気合の表れだったのだ。
高橋選手の次回以降のレースがますます楽しみになってきた」

国立競技場の観客席で、高橋選手の失速も復活も見届けてきたミーハーオヤジにとっても、もちろん今年11月の東京国際女子がますます楽しみである。Qちゃんらしくゴールで輝いてくださいね!

朝、走休。ステップ運動20分、心拍94。
夜、新聞突き破りなど定番トレ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする